羽州街道4 |
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矢立峠〜金光寺
金光寺〜大久保
大久保〜神宮寺
神宮寺〜院内関所
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羽州街道概要: 大曲宿は交通の要衝で角館街道と沼館街道の分岐点で雄物川舟運の川湊でもあり経済的に発展した商都とでした。六郷宿は江戸時代初期に佐竹義重が六郷城を構え城下町として町割りされた為、寺町には寺院が多く移されました。又、清水の里として知られ、豊富な湧き水が多かった事から醸造業が発展しました。金沢宿は古くは後三年合戦で激戦が繰り広げられた金沢柵の跡地(推定地)があり、その2之丸には久保田藩12社に数えられた金澤八幡宮が鎮座しています。横手は久保田藩の本城である久保田城の他、特別に支城として認められた横手城の城下町として発展し、奥州街道へと繋がる平和街道の分岐点にもなりました。岩崎は後に久保田藩の支藩となる岩崎藩の陣屋が設けられた町で現在でも往時の町並みが残されています。湯沢は佐竹南家が湯沢所預として赴任した町で南家の家臣達が居住した事で小城下町として発展しました。院内は日本三大銀山に数えられた院内銀山を控え、さらに藩境にあった為、院内関所を設け、人や物資の出入りが厳重に管理されていました。
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保呂羽山へ向かう |
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沼館街道へ
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● 角館街道へ
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生保内街道へ |
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平和街道へ |
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小安街道へ
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● 手倉街道へ
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十文字集落(横手市): 十文字は羽州街道沿いにある町で手倉街道と浅舞道とも交差している交通の要所で発展してきました。現在では古い町並みはほとんど消えうせています。ただ、愛宕神社境内には「休石」(読んだ字のごとく羽州街道で旅した人がここで腰を下ろ為の施設と考えられています。)と呼ばれる石が残っていたり、十字路には猩々碑と云われる道標(「左はゆざわ、右よこて、うしろハますだ、まヘハあさ舞」と彫られている。)があり当時を偲ばせてくれます。
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本荘街道へ |
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沼館街道へ
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● 小安街道へ
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山田集落へ
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● 松岡集落へ
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小野小町の里へ |
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矢島街道へ |
羽州街道(院内宿〜楢下宿)
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