平和街道(横手城下〜花巻城下)

羽州街道
  羽州街道(ホーム)>平和街道(横手城下〜花巻城下)
平和街道
羽州街道

概要・歴史・観光・見所
平和街道概要: 平和街道は羽州街道の横手城下(秋田県横手市)から現在の山内を通り奥州街道の花巻城下岩手県花巻市)へ続く街道です。現在の国道107号線にほぼ沿っています。特に参勤交代に使われる事も無く、領民達同士の交流や物資の流通に利用されていたと思われます。白木峠を挟んでは両領内に番所が置かれ監視はされていた様です。宿場などが置かれなかった為かあまり大きな集落もありませんでした。
平和街道
横手城下(横手市): 横手城下現在の横手市中心部は戦国時代から小野寺氏の本城である横手城の城下町として形成されなど秋田県南部では重要視させてきた場所です。江戸時代になると、「一国一城令」がある中、久保田藩は領地が広い事等から、特別に横手城と大館城の支城が認められました。又、横手は羽州街道の宿駅でもあり交通の要所だった為、県南の軍事、交通、政治の中心として発展してきました。現在でも横手川の清流や緑深い愛宕山、遠くに鳥海山を望みむ事が出来ます。
観光・旅行・見所 :横手城・旧日新館・平源旅館・塩湯彦神社・旭岡山神社・正平寺・正伝寺
平和街道
山内相野々集落(横手市): 横手市:山内相野々集落横手前郷から大沢を経ると相野々集落に着きます。相野々集落は小松川街道と筏、南郷集落へ続く道の結束点である要地で、この地域を治める為重要視された場所です。中世には鶴ヶ池付近に和田四郎が和田城を築き周辺の押さえとしていました。相野々集落は現在山内地域の中心地になり少ないながらも商業の集積もあります。鶴ヶ池畔には塩湯彦神社の遥拝の為、昭和12年、塩湯彦鶴ヶ池神社が建立され司祭場となっています。
観光・旅行・見所 :塩湯彦鶴ヶ池神社・和田城・比叡山神社・筏隊山神社 など
平和街道
山内小松川集落(横手市): 小松川平和街道はここで白木峠を越える山道に入るコースと黒沢道と称する黒沢川に沿ったコースに分かれます。その為、交通の要所とされ中世には小野寺氏が対和賀氏用に鎧倉館を築き備えを固め、江戸時代には南部藩に備える為、小松川番所が設置されました。番所には年間数千人の利用者の人物や荷物の改め役や、槍、刀、鉄砲などを常備しいざという時の拠点になっていました。
観光・旅行・見所 :小松川番所 など
平和街道
山内黒沢集落(横手市): 山内黒沢集落本来の平和街道からはそれますが黒沢集落には黒沢道が通っていました。黒沢道の方が歴史が長いと言われていますが黒沢川の氾濫などで街道が安定しなかった為一般的には平和街道の方が利用されていたようです。田代沢の岩手県境には高さでは秋田県最大級の「鹿島様」が鎮座し悪霊や流行病が入ってくるのを防いでいます。念仏講や熊野神社の例祭など民俗学的にも意味深い集落の1つです。
観光・旅行・見所 :鹿島様・旧黒沢小学校・熊野山神社 など
平和街道
花巻市: 花巻城城下町。南部藩の対仙台藩への軍事的拠点よして重要視。
観光・旅行・見所 : 花巻城・鳥谷崎神社・雄山寺・妙円寺・三嶽神社・鼬幣稲荷神社 など
平和街道
奥州街道2へ
羽州街道(ホーム)

スポンサーサイト

スポンサーサイト

スポンサーサイト

十二所街道| 阿仁街道| 矢島街道| 羽州街道4| 羽州街道3|
|羽州街道2| 羽州街道1| 手倉街道| 繋街道| 来満街道| 小安街道| 大間越街道| 男鹿街道| 生保内街道| 沼館街道| 川大内街道|
|刈和野街道| 亀田街道| 角館街道| 本荘街道| 平和街道| 羽州浜街道| 羽州浜街道2| 五城目街道| 子安温泉|
 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「秋田県の町並みと歴史建築」は「秋田県の歴史」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−秋田県」、「日本の城下町−東北(二)」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、「歴史道路報告書」、を参考にさせていただいています。