羽州浜街道2 

羽州街道
  羽州街道(ホーム)>羽州浜街道(新沢集落〜三崎峠)
羽州浜街道2
羽州街道

概要・歴史・観光・見所
羽州浜街道概要: 羽州浜街道は江戸時代初期に整備された街道で、山形県の鼠ヶ関宿から秋田の久保田まで街道で現在の国道7号線に当ります。ただ江戸時代は街道の大部分が日本海の海岸に沿っていたらしく、その道筋は不明確です。当時、本荘藩は羽州浜街道を守る為、街道の外側に波除石垣を普請しその保護に努めました。羽州浜街道は特に参勤交代に使われておらず、海産物や塩などの運搬や旅行者に使われていました。今、その羽州浜街道はどうなっているのでしょうか?ひとり旅の始まりです。 
川大内街道へ  ●  羽州浜街道  羽州浜街道  羽州浜街道   ● 亀田街道へ 羽州浜街道
新沢集落(由利本荘市): 新沢集落新沢村は羽州浜街道の亀田コースだけではなく、岩城亀田藩の参勤交代に使われた亀田街道や川大内街道への分岐点でした。岩城亀田藩では1つの拠点として重要視していたようです。古い町並みこそは残っていませんが、雰囲気は十分伝わってきます。新沢八幡神社には、高尾番楽や古式(一説では650年?)にのっとった神輿行列が行われ、中世から開かれた所だったことが現在で受け継がれています。
観光・旅行・見所 :新沢八幡神社・地蔵堂・お地蔵様・駒泣峠・道路元標 など
羽州浜街道 羽州浜街道  羽州浜街道   ●  岩谷麓集落へ
岩谷集落(由利本荘市): 羽州浜街道:大内岩谷は中世には楠正家(楠正成の4代あと)が元中8年(1391)奥羽に下向してきて打越城で没しました。楠氏の墓が大内町役場庁舎裏にあり「正四位上副将軍楠出羽守橘朝臣正家墓」と書かれています。その後、岩屋氏が岩屋館を築き岩谷周辺を支配しました。江戸時代に入ると羽州浜街道の亀田廻りコースに当りました。又、本荘から亀田街道や川大内街道へ抜けるにはこの岩谷を通る必要がありました。
羽州浜街道 羽州浜街道  羽州浜街道   ●  赤田の大仏へ
内黒瀬・内越集落(由利本荘市): 内黒瀬・内越村内黒瀬、内越は中世、由利十二頭の1人打越氏の支配下にあり現在でも関係した神明社や恵林寺、白山神社などの社寺が多く残ります。又、岩谷と同様に楠家の伝承も伝わっています。江戸時代には領内を4つの区域に分けた「四扱村々」の中で、内越通に組み込まれ、亀田城下と石脇港へ通じる重要な道としても整備され、付近にある神明社や香泉寺は藩主の帰依が厚かったと言われています。
観光・旅行・見所 :神明社・恵林寺・白山神社・香泉寺・内越城 など
羽州浜街道
石脇港(由利本荘市): 石脇石脇は前面に子吉川、背後に新山を背をい亀田藩の湊町として発展してきました。特に北前船による湊としても有力な町場で土蔵が建ち並ぶ人口集住度の高い地域だったそうです。子吉川を挟んでの古雪湊(本荘藩)との交流も盛んで、両藩では度々トラブルが発生していたようです。現在では同じ由利本荘市となり橋も掛けられたせいか両湊とも活気という面での役割は終えたようです。

観光・旅行・見所 :石脇港・新山・新山神社・斎彌酒造店・マルイチ醸造元 など
羽州浜街道 矢島街道へ  ●  羽州浜街道  羽州浜街道  羽州浜街道   ● 本荘街道へ
本荘城下(由利本荘市): 本荘城下本荘は六郷氏2万石の城下町として発展してきました。子吉川の下流に位置している為、本荘由利地方の物資が集積され、北前船の寄港地の1つということで対外的にも開けた町と言えます。又、羽州浜街道、本荘街道、矢島街道が交差する交通の要所でもあります。現在でも由利本荘市の中心としての地位はゆるぎのないところです。泉寺山門を始め本荘には幕末から明治にかけて芸術性の高い建物が多いように思います。
観光・旅行・見所 :永泉寺・本荘城・本荘八幡神社・日住白山神社・日住山 など
羽州浜街道 羽州浜街道  羽州浜街道   ●  潟保集落へ
出戸集落(由利本荘市): 出戸出戸は羽州浜街道沿いにあった集落で本荘藩に属していました。古い建物は無いのですが、国道が集落の中心部から外れている為、街道の雰囲気は感じられます。出戸は本荘藩に重要視されていたようで、幕末になると近海に現れる外国船に対して監視、応戦の為、本荘藩は唐船番所、砲台、陣屋などの施設を設置しました。集落の外れには一里塚も立てられています。
羽州浜街道 羽州浜街道  羽州浜街道   ●  院内集落へ
平沢城下(にかほ市): 仁賀保城下仁賀保氏3000石の陣屋町の平沢は、羽州浜街道の宿場、北前船の寄港地と様々な要因で発展してきた町です。昔からの町屋はあまり多くはありませんが、飛良泉の蔵などが残り、道幅がそんなに広くないことなどから街道沿いの町の雰囲気は損なわれていません。1本道を外すと平沢港ですが、港町独特の複雑な町割にはなっていません。当初からある程度の町割りが行われてきた為だと思います。付近には陽山寺山門などが残っています。
観光・旅行・見所 :仁賀保陣屋・八幡神社・松野医院・飛良泉酒造・波除石垣 など
羽州浜街道
金浦港(にかほ市): 金浦港金浦は港町特有の入り組んだ迷路のような町です。道幅は狭く、建物と道路が近接し、見通しも悪い為、知らない人がなかなか入ることは出来ません。このことは、長い間、北前船や漁業によって発展し続けた港町の大きな特徴であり金浦の大きな文化的財産だと思います。又、飛地区には羽州浜街道を日本海の波から守る「波除石垣 」が残っています。このように金浦は海と密接した町と言えます。

観光・旅行・見所 :金浦魚港公園・浄蓮寺・金浦山神社・勢至公園 など
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象潟集落(にかほ市): 象潟象潟は「九十九島」や「蚶満寺」、「奈曽の白滝」、「元滝伏流水」、「金峰神社」などが有名ですが、象潟の中心部も落ち着いた町並みが続いています。羽州浜街道沿いにある町ですが、北前舟の中継港や鳥海山修験の入り口としての役割もあり、かなり賑わっていいたようです。現在の象潟の町並みは、古い町屋が続くという感じではありませんが、海沿いの町らしく低層の瓦屋根の建物が続いています。又、松尾芭蕉を始め、数々の著名人も訪れている名勝と史跡の町です。
観光・旅行・見所 :九十九島・蚶満寺・古四王神社・奈曽の白滝・金峰神社・元滝伏流水
羽州浜街道
小砂川集落(にかほ市): 小砂川小砂川は羽州浜街道沿いにある集落です。前面が海に面する崖で背後が山が追っている為、農業には適していなく、製塩や漁業などが主な産業でした。羽州浜街道最大の難所である三崎峠を控えている為、宿場としても機能していたようです。現在は集落の中央が旧国道が通っていた為、道幅が広く旧街道のイメージはあまりありませんが、山沿いの家並みは石垣など風情のある町並みが残っています。
観光・旅行・見所 :小砂川漁港・八幡神社・雲晶寺 など
羽州浜街道
三崎峠(にかほ市): 三崎峠三崎峠は羽州浜街道の中でも最大の難所と云われ、現在でも大小の岩が点在し、当時の様子を良く伝えています。道幅も人が通れる程度しかなく、「地獄谷」や「駒泣かせ」などの地名が残っている程です。三崎峠には一里塚や、慈覚大師が開いてとされる「大師堂」、五輪塔などが残っていています。歴史的にも、松尾芭蕉の「奥の細道」の舞台や、戊辰戦争の戦場になったりと興味のつきません。又、「手長足長」の伝説も伝わっています。
観光・旅行・見所 :旧羽州浜街道・大師堂・五輪塔・一里塚 など
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