羽州街道概要: 羽州街道は江戸時代初期に整備された街道です。東北では奥州街道の脇街道として13藩が参勤交代に利用していました。現在の桑折宿から奥州街道と分かれ、山形、秋田、青森と羽州街道は出羽の国を横断していきます。このサイトでは主に秋田県内の羽州街道を取り上げていきます。あまりメジャーではない羽州街道ですが、江戸時代の秋田にとっては大変重要で、物や人、文化の交流の源と言っても過言ではありません。今、その羽州街道はどうなっているのでしょうか?実際に地図を携え歩く事で実感出来る事も多いと思います。全ての距離を歩く事は出来ませんが町並みや歴史的建築物、史跡などなるべく写真を多く掲載したつもりです。羽州街道の雰囲気だけでも伝われば幸いと思っています。
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矢立峠〜金光寺
金光寺〜大久保
大久保〜神宮寺
神宮寺〜院内関所
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羽州街道(青森県:碇ヶ関宿〜油川宿)
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矢立峠(大館市): 矢立峠は久保田藩と津軽藩の藩境にあります。当時は羽州街道の難所の1つであり、現在でも旧羽州街道沿いは鬱蒼とした木々に囲まれ、1里塚茶屋跡など遺構が残っています。矢立峠には「伊能忠敬」、「吉田松陰」、「古川古松軒」、「菅江真澄」、「イザベラバード」、「大久保利通」、などの著名人も通り、津軽藩主の参勤交代や戦乱時には多くの兵達が通った歴史の道とも言えると思います。 |
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白沢集落(大館市): 現在の大館市白沢は羽州街道にある宿場町で、江戸時代には津軽藩の本陣が置かれていました。文献には宝暦9年(1759)には本陣だけでなく御宿屋なども置かれ家数は63軒だったそうです。文化12年(1815)の資料では津軽藩の馬繋ぎ場にもなっていた事が記録されています。戦国時代では津軽氏と浅利氏の戦力分岐点で戦略的にも重要視されていた所でした。 |
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釈迦内集落(大館市): 釈迦内村(現大館市釈迦内)は宝暦九年(1759)の文献には戸数110軒でそのうち6軒が宿屋だったそうで、羽州街道の宿駅でした。元々水吐けの悪い土地柄だったらしく、街道を維持していくのに大変苦労していたようです。ある意味洪水が起こる度に街道が変更になっていたのかも知れません。釈迦内の名前の由来は鎌倉時代、北条時頼が回国をした際、実相寺に「釈迦仏木造」を奉納したという由来かだそうです。
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十二所街道へ |
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阿仁街道へ |
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大間越街道へ |
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羽州街道(金光寺追分〜大久保宿)
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