岩谷麓集落 |
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新沢
岩谷
内黒瀬
石脇
本荘
潟保
院内
平沢
金浦
象潟
三崎峠
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由利本荘市岩谷麓集落概要: 岩谷麓集落は中世、由利十二頭の1人岩屋氏が支配していた旧城下町で比較的早い時期から開けていた地域と言われています。その為、350〜400年前に始まったとされる小正月行事「ワタハタ」(由利本荘市指定文化財)といわれる奇祭、奇習などが現在でも受け継がれています。「ワタハタ」は小正月に新婚家庭に訪れセワラゲと呼ばれる長さ2mほどの生木の棒を臼に打ちつかせる行事で、「ワッタワタ ワタヤ」や「ナニワタ ワタヤ」などと叫びながら子孫繁栄や家内安全を祈願します。又、雪中田植えや獅子舞などの風習も残っており民俗学的にも興味深い集落です。集落内には諏訪神社や永伝寺など岩屋氏に縁の社寺や岩谷館跡などが残っていて歴史を感じさせてくれます。[大内町史参照]
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岩谷館(古館城) |
岩谷館は芋川流域にあり、背後に亀田に抜ける折渡峠があるなど交通の要所で、中世は岩屋氏が支配していました。案内板によると「戦国時代、由利郡を支配した武将が十二人おりこれを由利十二頭あるいは由利十二党と呼んでおります。この十二頭の中の一人信州(長野県から由利に入った岩屋氏がおりました。岩屋氏は大内町に居住したたのは今から約440年位前(天文年間)といわれてれております。後方の山頂が古館城の跡で最初の城主は大井能登守とされ、後に岩屋能登守朝繁と名乗った知名度の高い武将であった。 大内町教育委員会」とあります。本丸、二の丸の城郭跡があり山麓には朝繁の供養塔(墓)が安置されています。
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永伝寺 |
永伝寺の創建は応永12年(1405)に現在の岩手県水沢江刺の曹洞宗の寺院、正法寺の直末寺として岩屋氏が開基したといわれています。その為、城跡山麓に安置されている正保3年(1646)に没したという岩屋朝繁の墓碑を現在まで手厚く管理しています。又、永伝寺は何度か火災があったそうで、現在の本堂の建物は文化8年(1811)のものをベースとしたものです。亀田領三十三観音霊場第6番札所でもあり周囲から信仰され、本尊は釈迦如来像は中世を下らない歴史を持っているとされています。
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諏訪神社 |
諏訪神社の創建は不明とされますが岩屋氏は信州(現在の長野県)出身と云われることから、同氏が縁のある諏訪神社を鎮守社としたと思われます。折渡峠へと続く峠道の入り口に当たる高台に鎮座し、集落を見下ろせるよう社殿が南向きとなっています。集落を鎮護すると同時に神社の配置から一種の結界(集落内部に悪霊や疫病が入り込まないようにする)としていたように感じます。又、様々な神社と合祀したようで祭神は諏訪大社上社本宮が祭る建御名方命を筆頭に白山姫命、天照大神が祭られています。
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竜のしめ縄(藁大蛇) |
竜のしめ縄は諏訪神社境内の鳥居脇にとぐろを巻いています。大内町史によると例祭の前の日に藁で大蛇を作り奉納する諏訪大神の化身とされるようです。諏訪神社の項でも述べましたが鎮座している位置が折渡峠の入口に当たる為、結界神、道切りとして機能していたのではないでしょうか。「竜のしめ縄」は同じ市内にある東由利町にほぼ同じような形態で藁大蛇と呼ばれ、現在でも道切りとして祀られています。道切りとは集落内部に悪霊や疫病などが入り込まれないようにする結界のことで秋田県内では主に人形道祖神として集落境に鎮座していますが、由利本荘地域では人形型ではなく竜や蛇の形をとっているようです。
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