由利本荘市: 西目町潟保集落

羽州街道

西目町潟保集落
潟保集落
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由利本荘市西目町潟保集落概要: 潟保集落は中世、由利十二頭の1人潟保氏の城下町として古くから開けた集落です。山頂には孔雀館と言われる潟保館を構え高台に集落を形成し、低地に田園が広がっています。その為、集落内では坂があり古い建物で瓦屋根のものが多く統一感があり一種独特な雰囲気があります。八幡神社は古代からの歴史を持ち、例祭である潟保神楽は古式を今に伝えます。大欅や庚申塔なども点在し見ごたえのある集落といえます。
潟保館(孔雀館)
 潟保館(孔雀館)潟保館(孔雀館)は中世周辺一帯を支配した由利十二頭の1人潟保氏の城郭跡で案内板によると「当所には往古から、現在の潟保家の先祖齋藤氏が居を構えて、潟の府館と称していたが、建保5年(1217)潟の保館と改称したという。諸説あるが、一説によると、応仁元年(1467)信濃の海野小太郎幸氏の子孫で同姓弥太郎が、由利十二頭のひとりとして、当地を治めるため来往した。この海野氏が斉藤氏に入婿し、潟保姓を名乗ったと伝えられる。・・・(中略)館の別名を孔雀館という。西目村史に、「館跡は、周囲およそ20町余り。山河の険に守られ本丸、2の丸、出丸あり、本丸を頭とし2の丸を嘴とし、南北の山は左右の両翼となり、西由利原の山脈はその尾となりて、潟保館(孔雀館)その形状孔雀の如し、故に名付くという。」と記されている。・・・(後略) 西目町教育委員会」とあります。本丸からの眺望は素晴らしく当時の領内だけでなく遠く日本海まで一望出来、潟保神社を初め龍田神社、金毘羅神社などの石碑が並べられています。本丸と隣接して一段下がった処にも平場があり合わせるとかなりの広さがあります。現在では公園として整備されていますが土塁らしきものも一部見られます。
八幡神社
 熊野神社八幡神社は潟保館の一角に鎮座し、潟保集落の産土神だと思われます。案内板によると「本神社は八幡大神 外7柱の神々を奉斎す。宝亀元年(770)豊前国字佐八幡を勧請し 延暦2年(783)井戸ヶ峰に社殿建立 応仁年間(1467〜1468)現社地に遷座せしと言い伝う ・・・(後略)」とあります。 例祭で奉納される神楽は伊勢から楽師を招いて学んだもので天明元年(1781)が最初とされ由利本荘市指定文化財となっています。本殿は覆われているので詳細はわかりませんでしたが大社造だそうです。
大欅
 ケヤキ大欅は八幡神社の境内にあり、案内板によると「この欅は、樹齢約760年と伝えられ、本町随一の巨木で周囲5.5メートル、直径1.8メートル、樹高23メートルあります。本殿新築工事の際、土砂を入れた為、低地にあった欅の根元が焼く3メートル埋まっているといわれています。なお、祭典奉仕者が使用した草履を枝に掛ける奇習は今に続いております。」とあります。写真ではわかり難いのですが、実際多くの草履が欅の枝からぶら下がっていて信仰の厚さか感じられます。
庚申塔
 庚申塔案内板によると「潟保の里人は由来信仰心が篤かったので、諸神仏と共に庚申を崇敬し、末代までの家内安全を祈り、かつ悪疫が村内に入りこまないことを願うため、当時村はずれであったこの処に庚申塔を建てることにした。名主の潟保久左衛門の承認と助言を得た後石塚文右衛門を総世話方とした里人は文化6年(1809)夏、塔石を大森台で見立て、翌7年1月、大ぞりで運搬した。この間の出役者は延130人を要している。次いで8年、庚申 の書を本荘藩士 服部和七郎に依頼し、同年7月刻字という。県内屈指の大きさの庚申塔を拝する時、先人の信仰心の強さに深い感銘を覚える 潟保町内会」とあります。
水場
 水場 水場は集落の潟保館側にあり、現在でも使われているようです。他の水場でよく見られる飲料や食器の洗い場など別れているタイプではなく、井戸状の丸い筒の中に清水が湧いています。飲料用として利用している為、蓋がしてあり、開くと澄んだ清水が満水しています。回りもよく整備されていて、周囲に石垣が組まれ土が流れてこないようにして常に清掃しているらしく清潔感が感じられます。水神様も祭られていて神聖視されています。
宗老寺
 宋老院宗老寺は戦国時代、潟保一帯を支配した由利十二頭の1人潟保氏の菩提所で曹洞宗の寺院です。創建は天文3年(1534)に菊翁是琳大和尚を招いて開山し、開基は当時の潟保館当主の海野弥太郎とされています。潟保館の一角に位置し本尊は釈迦牟尼仏で宝物として作者、年代不詳の虚空蔵菩薩像があります。現在の本堂は昭和9年火災の後建替えられた昭和43年に建てられたコンクリート造の建物です。
円通寺
 円通寺円通寺は潟保集落に隣接する沼田集落にある曹洞宗の寺院です。創建は天文3年(1534)菊翁是琳大和尚が開山し由利氏が開基したとも云われています。元々は寺ヶ沢にあったそうで元禄3年(1690)沼田桂林、現地に移ってきたのは寛政4年(1792)のことです。本尊の胎内には高さ23センチの金銅の弥靭菩薩像が胎内仏として安置しています。本荘領三十三観音霊場第16番札所とされ周辺地域からの信仰が篤いです。
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