大沢郷宿集落 |
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刈和野
北野目
大沢郷宿
杉山田
萱ヶ沢
高尾
新沢
上蛇田
亀田
松ヶ崎
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大仙市大沢郷宿集落概要: 大沢郷宿集落は正確にいうと亀田街道沿いの集落とは言えません。江戸時代、大沢郷宿は矢島藩の飛地として代官がこの地治めていて、その為旧街道に上坂番所が設けられ大沢郷宿へ行く道は管理されていました。その為か集落が独自で発展した形跡もあり、当時はかなり町屋などの建物があったと思います。現在でも古い建物は少ないですが数店の店舗が継続していて当時の名残があります。
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本多上野介正純配所跡 |
本多上野介正純配所跡とは案内板によると「本多上野介正純は、徳川幕府の重臣でその信任厚かったが、家康の死後二代将軍秀忠の世となるや掌を反すが如く冷遇され、元和8年(1622)罪を被せられて宇都宮15万5千石から本荘藩5万5千石に左遷された。さらに翌元和9年には、厨料千石に減ぜられて大沢郷村に移された。」とあります。現在の大沢郷宿支所前に配所跡があり、本多上野介正純はその後、現在の横手市に預かりの身となって没したとされています。
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清七塚 |
清七塚は旧亀田街道から上坂番所跡から大沢郷宿方面に抜ける道沿いにあります。その道も現在では田畑や新しく出来た道路などで分断されていますが、ら大沢郷宿の人達には重要な道だったと想像できます。江戸時代、大沢郷代官が不正を働き農民達が大変苦しんだ時期があり、清七はその不正を幕府に直接直訴しました。不正は正されましたが清七は斬首されました。農民達は清七を義民として供養したそうです。
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雄清水・雌清水 |
雄清水・雌清水は大沢郷宿集落の県道10号線の刈和野よりにあります。水量、水質共に優れていると言われています。元旦時には神前に供えるなど霊水として信仰されていて、危篤になった病人はこの水を飲ませたそうで、延命の水として語り継がれています。現在雄清水の廻りには木製のやぐらが組まれていて、上部に水神様と思われる神様が祭られています。多くの人が水を汲みに来ていて、日本酒の仕込み水としても用いられています。
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水場 |
大沢郷宿集落には現在でも使用されている水場があります。雄清水・雌清水からそう遠くない場所にあります。他の地域の水場と同じように、水源の上流から飲料水と洗い場などの用途に分けられている構造になっています。水に対する信仰は強く、水場にはお地蔵様と水神様と思われる曰くありげな2つの石が祀ったいました。木で組まれたお堂の背には幕が張られ現在でも信仰の対象になっている事が分かります。つい最近まで各所で見られたこの様な風景も少しづつ少なくなってきました。水道の普及と湧き水の水質悪化、コミニティーの欠落など様々な要因はあると思いますが、後世まで伝えていってほしい文化の1つだと思います。 |
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山神社 |
案内板等が無かったので歴史、由来等は分かりませんでしたが大沢郷宿の鎮守です。現在では集落から奥まった所にある為わかり難いのですが、当時は亀田街道へ続く街道沿いにあり集落境にあり、神社の前には溜め池や水飲み場もありことからも神聖視された場所だと思われます。江戸時代には何度も支配者が変わり代官所など置かれていた事からも独立性が高い地域だったことが影響してか、社殿の規模も比較的大きい感じがします。屋根の出や素朴な装飾彫刻などこの地域の文化と思われる箇所が見受けられます。 |
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