由利本荘市: 松ヶ崎集落

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松ヶ崎集落
松ヶ崎集落
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由利本荘市松ヶ崎集落概要: 松ヶ崎集落は羽州浜街道と亀田街道の分基点として、又、岩城亀田藩の外港としても発展しました。古い建物は少なく、道路も拡幅されています。ただ、ほとんどの建物が街道沿いに接して建ていて、海沿いの建物らしく、黒の瓦屋根が非常に多い為、旧街道の雰囲気はあります。海側の敷地には、風雪に耐える為、竹や廃材などを高く組みあげ、日本海沿岸の独特な景観を作り出しています。
八幡神社
 八幡神社八幡神社は松ヶ崎集落の鎮守です。祭神応神天皇で江戸時代に岩城亀田藩藩主岩城公より社領30石が与えられていました。最建てられた鳥居はかなり大きく、狛犬や石灯籠や参道の階段などはかなり風化して歴史が感じられます。社殿自体は新しい物に感じられましたが、境内は神聖な雰囲気がしました。日本海側に面している周辺の集落は鎮守を集落背後の山の中腹に鎮座させて、海と集落、神社の位置関係が明白で神社は村を守ると同時に海からの目印にもなり灯台のような役割をもっていたと思われます。しかし、松ヶ崎集落と八幡神社の位置関係は多少異なります。集落から衣川を挟んで山(神社)という関係です。確証はまったくありませんが、秋田県内にはこのような空間配置の集落が幾つか存在します。川の向こう岸に山がある事である宗教的イメージが写しだされているようです。
光禅寺
 光禅寺 光禅寺の創建は嘉慶2年(1388)に由利12頭の1人赤穂津氏が代々の菩提寺として袖ヶ沢に堂宇を建立したのが最初とされます。当初は300石ほどの所領があったそうですが赤穂津氏が常陸へ領地が替えられるなど、徐々に勢力がなくなって廃寺となりました。その後、龍門寺二十三世義天泰存が赤田の大仏で名をはした弟子である是山泰覚大和尚と協力しながら再興し、宝暦8年(1758)に伽藍を建立しました。街道からは奥まった所に本堂があるので分かり難いのですが、境内の一角には西国33観音が安置して歴史ある寺院の風情があります。亀田領三十三観音霊場第三十三番札所。
お地蔵様
 お地蔵様 亀田城下を出て街道を進んでいくと松ヶ崎集落の入り口にお地蔵様が鎮座します。年代や由緒は良く分かりませんでしたが、集落の入り口にあり、是山泰覚大和尚が出身した光禅寺があるなどが影響しているのではないかと思います。川大内街道や亀田街道の集落にある、お地蔵様達と比べると多少異質な感じに受けました。集落の住民達が手がけたと言うよりは、藩の政策や寺院の方の寄進などといったことがひ背景にあるような気がします。よい意味でワンランク上の扱いをされています。
町並み
 松ヶ崎町並みこの風景は松ヶ崎だけのものではなく秋田県内の由利本荘地方によく見られる風景です(他はまだ未調査)。羽州浜街道は日本海沿いにあっただけでなく、魚業に従事する家が多い事から、家屋は海に面してギリギリに建てられていました。その為、海からの風雪が強く、写真のように敷地の海側に竹や廃材などでなるべく高く塀を造り家屋を守るといった工夫が見られます。当然この様な景観は山間部にはなく、海側の独特の文化だと思います。技術が革新していく中でこのような光景を目に出来るのは大変素晴らしい事で出来れば後世まで伝えていってほしいものです。
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