秋田市: 桂根集落

羽州街道

桂根集落
秋田市桂根集落
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秋田市桂根集落概要: 桂根集落は中世から通じて領域の境界にあった集落であった為軍事的な拠点となっていました。由利十二頭時代には桂根館が築かれ北方の堅めとし、江戸時代には久保田藩と岩城亀田藩の藩境となり、藩境塚や番所、空船番所が設けられました。海岸沿いの集落の関係で加賀からの移民や漂着民もあり白山神社などがその関係を示しています。現在は国道から外れ、静かな町並みを呈しています。
藩境塚
 藩境塚桂根集落は久保田藩と岩城亀田藩の藩境にある集落で境川中央がその境界とされました。藩発足当初は藩主が血族だった為、お互い友好的な関係だったようですが、岩城亀田藩は途中から伊達家から当主を迎え入れ、藩境争いも絶えず、次第に冷えた関係だったようです。桂根集落周辺では大きな争いが起きていないようですが、新波大沢郷宿保呂羽山周辺ではかなり大きな騒動が起きていたそうです。桂根集落では寛永2年(1625)に検地され、写真で見られる境川の辺とその反対側にある小高い丘の上の2箇所に境盛塚が設置されました。
白山神社
 白山神社白山神社の創建は天正8年(1580)に加賀から移り住んだという彦坂助十郎が出身の産土神、白山姫命を祀ったことが最初と言われています。桂根集落には北陸方面からの移住者が多かった事からも白山信仰は浸透していったと思われます。白山神社由利本荘市にかけて日本海側の漁村の神社は海に近接し見渡しの良い場所に鎮座している例が多いのですが白山神社は集落よりもかなり内陸側にあり多少違和感があります。社殿は南側を向いていますが場所にも何か謂れがあるのかも知れません。明治5年に新潟から来た貿易船「幸丸」が桂根沖で難破しかけたとき、住民が助けた事が縁で乗り組員が同8年に参道の石段を奉納しています。社殿は小さいながらも龍、獅子、力士などの彫刻がある凝った造りで信仰の厚さが感じられます。
地蔵堂・庚申塚
 地蔵堂・庚申塚桂根集落の中央近くに変則な十字路がありその傍らに地蔵堂と庚申塔が安置されています。岩城亀田藩では是山和尚が地蔵信仰の普及に尽力を尽くしていたこともあり各集落で地蔵信仰が盛んでした。特に集落境に安置され、道祖信仰などと習合し、ある種の結界神や交通安全、子孫繁栄などの意味合いの強いものとなりました。桂根集落では地蔵堂と庚申塔が隣接して安置されていたことからからも、この地が集落にとって重要な場所だった事が偲ばれます。又、岩城亀田領内ではお地蔵様を祀っている場合が多く桂根集落のような形式は極めて希な存在といえ、久保田藩(秋田藩)に隣接している事から何らかな影響があったと思われます。
 
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