浜田集落 |
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久保田城
新屋
浜田
桂根
下浜
道川
二古
松ヶ崎
亀田
上蛇田
新沢
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秋田市浜田集落概要: 新屋の愛宕地蔵を右に曲がり長い坂道を進むと浜田集落に着きます。浜田集落に田地は少なく、漁業や製塩業が主な産業でした。元々は岩城亀田藩でしたが領地を代替して久保田藩領になりました。その為、藩境にもなり関所を設けたとされています。場所は特定出来ないそうですが、境川が名前の通り藩境でした。江戸中期になると、海岸の警備も強まり、唐舟番所を設けるなど、久保田藩にとっては重要拠点の1つだったと思います。
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保食神社 |
保食神社は浜田集落の鎮守と思われます。街道沿いに鳥居があり集落背後の高台にあります。参道は思っていたより長く、途中浜田小学校のグランドがあります。二の鳥居をくぐると階段があり狛犬や石灯籠などかなり浸食して歴史を感じます。社殿は両脇が増築されていてバランスは良くないものの花頭窓の痕跡があるなど当時の姿が想像出来ます。由来等は分かりませんでしたが神社の名前から「豊受姫命」が祀られていると思います。穀物の神様です。境内からは日本海も見え鎮座した場所もわかる気がします。
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金毘羅神社 |
案内板によると「浜田の中村、瀧ノ下は昔漁業が盛んで、イワシやニシン、また冬にはハタハタなどが獲れた。瀧ノ下の網元相原清三郎家五代目の相原清蔵が天保12(西暦1841)年出漁中に重い物が網に掛かり、引き上げたところ、神気ただならぬ大石であった。相原清蔵は、この石を航海安全の守護神「金毘羅様」のご神体とし、表に「金毘羅大権現 子時 天保12年辛丑7月吉辰 願主 相原清蔵」の文字を刻んでおまつりした。その後、この地の漁師達がご加護を願って講を結び神社を建てておまつりをしている。」とあります。
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地蔵堂 |
地蔵堂は羽州浜街道沿いにあります。道路の結束点にあり、片方の道は新屋から伸びていた浜田道ではないかと推測出来ます。地蔵堂は新屋にもあるのですが、秋田県内で集落境や道の結束点に好んで安置されているのが岩城亀田藩内です。新屋や浜田地区は元々岩城亀田藩領(後に領地を取替え久保田藩領になる)だったのは少なからず影響があるのではないでしょうか?お堂はコンクリートブロックで出来ています。お供え物が絶えず信仰が続いていることが分かります。
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本陣跡 |
石碑は2本あり「滝の下御本陣跡」、「由利郡境御陣所跡」、「秋田藩郷倉屋敷跡」、「浜田尋常小学校跡」、「相原宗家拝領屋敷跡」とあります。想像すると、浜田集落の名主だった相原家の屋敷は江戸時代は関所のような機能を持っていて、戊辰戦争の際は本陣となったといことかも知れません。他の資料には寛永20年から沿岸部(浜田集落)に唐番所を設けたとの記述もあるので、係わりがありそうです。明治時代に入ると小学校に利用されたようです。現在は畑になり、隣に一族の墓と思われる墓地があり大きな五輪塔もあります。
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