天瀬川集落 |
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大久保
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三種町天瀬川集落概要: 三倉鼻は江戸時代に入り羽州街道が整備されるまでは秋田郡と山本郡の郡境になるほどの難所でした。その為、現在でも三倉鼻は景勝地とされ、様々な著名人が訪れています。天瀬川集落はその麓にあり、天瀬川付近の民家は敷地も広く庭木も大きく育っている為かなり昔の街道の雰囲気がある町並みになっています。又、天瀬川集落には戦国時代の武将・織田信長の二男信雄の配流地であり、肝煎だった喜右エ門家ではそれにまつわる伝説も残っています。
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三倉鼻 |
三倉鼻は当時、八郎潟に突き出た岬でした。その為、侵食による岩肌や洞穴の跡が今でも残ります。大和朝廷時代の蝦夷地との国境ラインだった為か、江戸時代に街道整備するまではかなりの難所だったそうです。あまり大きな山ではありませんが半島状に尽きて出ている為、八郎潟や男鹿半島の山々を一望することが出来き、街道を行き交う人達はここで一休みするなどかなりの景勝地だったようです。菅江真澄や正岡子規などの著名人も数多く訪れています。
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夫殿大権現 |
案内板によると「この洞窟は、昔、海岸だった頃波の浸食作用によって作られた洞穴と言われていいる。縄文時代の住居にも利用された跡があり、洞中には八竜権現と夫殿権現の足名槌神を祀る2小祠(ほこら)がある。昔、この洞窟に、2人の美しい少女と父修験者(おとど様)が住んでおり、この姉妹が1人の若者に夫々求婚したがとどけられず、死にまつわる哀れな恋物語が今に伝えられ、姉は米盛り、妹は糠盛り、父は地蔵盛りに葬られ、この3人の霊が合祀されている」とあります。
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六尺地蔵 |
三倉鼻の頂上付近に俗称「六尺地蔵」が鎮座してます。宝暦9年(1759)の建立なので今から約250年も前のことです。当時の八郎潟は風が吹くと大きな波が立ち多くの漁船が被害にあったそうで、遭難者の供養や安全を祈願したものです。高さが約6尺あることからかなりインパクトがあり、八郎潟からもその姿が見えていたそうなのです。現在は木々に囲まれているので遠くからは見る事が出来ません。八郎潟の漁業は衰退しましたが「6尺地蔵様」には前掛けなどがあるので現在でも信仰は続いているようです。
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