三種町: 森岳集落

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森岳集落
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三種町森岳集落概要: 豊岡集落を越え飛び坂を下ると森岳集落に着きます。森岳は以前は森岡と呼ばれ羽州街道の宿駅とされ、津軽藩の本陣が置かれた場所です。又、久保田藩の南山本奉行御役屋が置かれるなど周辺地域の中心的存在でした。現在では道路の拡幅と店舗などの建物の改修などで、古い町並みは損なわれて、なかなか昔を感じる事が出来ません。森岳八幡神社や、森岳寺などは住宅街にある為、町並みに参加できずにいます。
森岳八幡神社
 森岳八幡神社 森岳八幡神社は森岳(森岡)集落の鎮守です。創建等は案内板がなかったので良く分かりませんでしたが、境内の芸術会館で行われる森岳歌舞伎は文化・文政年代(1804年〜1830年)に山伏より伝えられたと云われていますの、それ以上の歴史があると思われます。社殿等は大正大正14年の大火で消失した為、比較的新しい印象を受けます。森岳八幡神社住宅街に位置するので羽州街道からは多少分かりにくいかも知れません。元々はJR森岳駅付近にあったそうなので、あまり場所についての意味性は感じ取れませんでした。森岳歌舞伎が山伏と関係している為か、神社山門があり、当時は神仏混淆として信仰の対象になっていたのかも知れません。境内には南北朝から室町期からの石碑等もあり歴史は深いです。
森岳寺
 森岳寺森岳寺は元々は山岳信仰のある房住山と関係があり一説には3000石の領地があったそうです。中世に入ると安東氏は脅威に感じたのか、家臣の大高相模守を使い寺院を焼き払い寺領を没収したそうです。織田信長の比叡山焼き討ちなど、当時はこのような事が地方でも行われていたのかも知れません。その後慶長10年(1605)になって補陀寺十一世天室宗龍が現地に開山しました。(諸説あるようです)現在の社殿は昭和43年のものですが、山門、社殿共かなり大きいものです。本尊の釈迦如来像(台座を含めると1.35メートルもあるそうです)は江戸時代、京都の仏師である蔵之丞とされ旧山本町の文化財指定されています。
庚申塔
 庚申塔鹿渡方面から羽州街道沿いに来ると森岳温泉からくる県道のT字路に庚申塔があります。当時から五城目町へ抜ける街道の三叉路だったと思われる場所です。雰囲気は大分変わってしまったようですが、庚申塔だけは残って見守っているようです。ここから林崎、森岳集落へ入る入り口にもなっていました。庚申塔には様々な意味合いがあり、ここでは道祖神などの意味合いが強いものと思われます。
南山本郡奉行御役屋
 南山本郡奉行御役屋森岳は江戸時代か周囲の行政の中心地でした。津軽藩の本陣があっただけでなく久保田藩の郡奉行所が寛政七年(1795)に置かれました。羽州街道からは少し中に入り分かり難い場所にあり奉行所あるのイメージとは多少異なるかも知れません。当時から変わっていないのか前面道路の幅もかなり狭いです。周囲には森岳寺や本光寺、八幡神社がある為、当時は中心地だったと思います。現在は遺構さしきものは無く民家の敷地になっています。
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