天童温泉:歴史・観光・見所

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天童温泉・歴史・観光・見所
天童温泉概要: 天童温泉の開湯は明治19年(1886)、新たに農業の灌漑用水を得る為に井戸を掘った際、温かい温泉が湧き出たのが始まりとされます。当時、当地域が鎌田原と呼ばれていた為、鎌田温泉と呼ばれ、次第に温泉を利用した宿屋や飲食店が建てられて温泉街を形成されていきました。明治44年(1911)、新たに14箇所の井戸を掘り改めて高温の源泉が発見され広く知られるようになりました。大正13年(1924)、天童市となった事から名称も天童温泉に改称しています。泉質はナトリウム、カルシウム、硫酸塩泉、泉温は69℃、効能は慢性消化疾病、痔病、冷え性、病後回復期、疲労回復、五十肩、運動麻痺、神経痛、筋肉痛、関節痛、切傷、火傷、慢性皮膚病、動脈硬化症、打ち身、くじき、健康増進、関節など。天童は中世、天童城の城下町として発展した町で戦国時代に天童城が落城し天童氏が没落すると一時衰退しましたが、江戸時代に羽州街道が開削されると宿場町として発展しました。江戸時代後期になると織田信長の次男織田信雄の後裔が天童藩を立藩し、その陣屋町として発展しました。戊辰戦争の戦火により大きな被害を受けましたが、当地域の中心地としての地位は揺るがず、天童温泉の発見により温泉地としても知られるようになりました。天童温泉から東へ数キロ先にある鈴立山の中腹には縁結びに御利益があるとして知られる若松寺が境内を構えています。若松寺は飛鳥時代の和銅元年(708)に行基菩薩が布教の為に当地で錫を止めた際、鈴の音に導かれ山深い山頂まで登拝すると三十三観音が出現し感得する事をえました。行基菩薩は霊地と悟り、自ら観音像を彫刻して若松寺を開いたと伝えられています。
天童温泉
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