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猿羽根峠(船形町)概要: 猿羽根峠の歴史は古く奈良時代に定められた延喜式の中で「避翼駅」として記述されています。陸奥国府だった多賀城(宮城県多賀城市)から出羽国府の城輪柵(山形県酒田市)、や秋田城(秋田市寺内)、払田の柵(秋田県大仙市)など主要施設へ続く重要な街道(官道)だった思われます。江戸時代になり宿駅制度が確立すると羽州街道が筆頭大名だった秋田藩の佐竹氏が中心となり整備され、特に猿羽根峠周辺の街道は「佐竹道」と称されました。峠の最高部は最上郡と村山郡の郡境であると同時に新庄藩と山形藩や天領との藩境でもあった為、境界石が設置され、付近には一里塚も現存し、「日本三大地蔵」の一つとされる猿羽根山地蔵尊堂も鎮座しています。又、元禄2年(1689)6月1日(現在の7月17日)には松尾芭蕉が奥の細道行脚の際、大石田を出立しこの猿羽根峠を越え新庄に向ったとされます。曽良日記によると芭蕉と共に馬を借受、猿羽根峠を越え舟形に至り船大石田の俳人高野一栄、高桑川水に阿弥陀堂まで見送られ、そこからは徒歩で新庄に入った事が記載されています。明治時代にはイギリス出身の女性旅行家、紀行作家であるイザベラバードが羽州街道を北上した際、猿羽根山峠を通過し好印象を持った事が著書である「日本奥地紀行」に記載されています。
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猿羽根峠 |
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猿羽根峠:観光・見所 |
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