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女鹿(遊佐町)概要: 羽州浜街道沿いにある集落で、難所の1つである三崎峠を控えていた為、多くの人達が利用しました。羽州浜街道は大名の参勤交代で利用されていない為、本陣などの施設はありませんでしたが、藩境付近に位置していたことで番所を置いて人や荷物の管理をしました。元禄2年(1689)には松尾芭蕉が「奥の細道」で吹浦から象潟に向かう途中、女鹿を通過しており番所に手形を納めた事が曾良旅日記の中で記載されています。戊辰戦争の際は官軍に付いた久保田藩、由利諸藩と奥羽越列藩同盟側の庄内藩との戦があり多くの家屋が焼失しています。又、秋田県の男鹿半島で有名な「なまはげ」と同じような風習が女鹿集落でも伝わっており、女鹿では「アマハゲ」と呼ばれ、鬼の面を被って「ケンダン」と呼ばれる藁を身に着け、家々を回って子供達を諌める小正月行事となっています(男鹿半島の「なまはげ」は大晦日の夜)。女鹿の「アマハゲ」は「遊佐の小正月行事」として平成11年(1999)に国指定無形民俗文化財に指定されています。
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女鹿 |
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女鹿:観光・見所 |
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