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十分一番所(延沢銀山)概要: 十分一番所は日本三大銀山とも云われた延沢銀山の番所の1つです。延沢銀山(国指定史跡)は慶長年間(1596〜1615年)に発見され、当時の領主で延沢城(国指定史跡)の城主延沢氏によって開発されました。元和8年(1622年)の主家である最上家が御家騒動の為改易になると延沢氏も肥後藩加藤家に預かりとなり、延沢銀山は山形藩鳥井家の管理となり本格的に開発が行われました。延沢銀山の産出量が増え重要性が高まると出入りの管理が厳重になり搬入路に番所が設けられました。特に銀山への物資の搬入搬出には10分の1の関税を掛けた事から十分一番所の名称の由来となりました。鳥井家が事実上改易になると天領となり延沢銀山は幕府の管理下に入り金山奉行による開発が行われました。鉱山町の出入口である十分一、鶴子口、吹沢口、上ノ畑入口、上野、向平、高山、本番所、新番所には2重の柵と番所が設けられ2人の役人が人物改が厳重に行われ特に物資の搬入搬出には尾花沢代官領側は十分一、仙台藩側は高山に限定し厳重に荷物改めが行われ関税が摂取されました。江戸時代中期になると減産により延沢銀山は閉山となり十分一番所も廃されたと思われます。現在は鉱山町で栄えた町は銀山温泉の温泉街として活況を呈し、延沢銀山も一部公開、十分一番所の跡地前には陶芸センターが建てられています。
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十分一番所 |
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[ 付近地図: 山形県尾花沢市 ]・[ 尾花沢市・歴史・観光・見所 ] |
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