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栃木県・奥州街道 |
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鍋掛宿(那須塩原市)概要: 鍋掛宿は奥州街道の宿場町として成立した町です。大田原宿側の入口部には延宝7年(1679)に建立された清川地蔵尊が安置され、現在でも子育てに御利益があるとして特に幼い子供がいる母親から信仰の対象とり毎年4月24日には集落の女性信者が集まり念仏講が行われているそうです。宿場の中央付近には八坂神社が鎮座し境内には芭蕉句碑「野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす ばせを」が建立され、向かいにある正観寺にはシダレザクラの古木と古い道標を見る事が出来ます。堀越宿側の入口部には二十三夜塔や馬頭観音の石塔など建立され一種の結界のように配置されています。正保3年(1646)以後は天領として幕府が支配し往時は那珂川の川留の宿として繁栄し本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠23軒、戸数100余戸があり、隣接する堀越宿とは余り離れておらず2宿で1つの宿として機能していました。慶長5年(1600)の関が原の戦いの際には東軍方の水谷勝俊等が鍋掛宿に陣を設けたとされます。江戸時代末期には天狗党の乱の舞台の1つとなり元治元年(1864)11月に天狗党の党員達が堀越宿、鍋掛宿に着陣し、ここから西上し京都を目指しています。道路の拡幅と建物の建替えにより宿場町の雰囲気は失われつつあります。
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鍋掛宿
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鍋掛宿:町並み |
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鍋掛宿:名所・旧跡 |
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