奥州街道(栃木県):白河宿〜小山宿

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栃木県:奥州街道・概要
奥州街道(栃木県)概要: 奥州街道は五街道の1つで、江戸日本橋から津軽半島の突端にある竜飛岬の麓、三厩宿(青森県外ヶ浜町)まで89の宿場町を繋ぐ日本最長の街道です。栃木県では野木宿が最南端、芦野宿が最北端にあたります。小山宿(栃木県小山市)は日光西街道・結城道・佐野道・栃木道が分岐する交通の要衝で、古河藩、幕府(天領)、宇都宮藩などが代わる代わる支配権が変遷し江戸時代後期以降は宇都宮藩領となりました。徳川将軍が日光東照宮(栃木県日光市)への参拝の際には小山宿で宿泊した為、宿場内には小山御殿が設けられました。宇都宮宿(栃木県宇都宮市)は宇都宮藩の藩庁である宇都宮城の城下町で、一大消費地であると共に日光街道・壬生道・鹿沼道・田原道・新里道・大谷道が分岐する交通の要衝としても重要視されました。戊辰戦争の際には激戦地の1つで、土方歳三率いる幕府軍が一時宇都宮城を占拠するなど激しい戦いが繰り広げられ、城下町は大きな被害を受けています。氏家宿(栃木県さくら市)は鬼怒川舟運の川湊である阿久津河岸があった為、物資の集積場として発展、又、会津西道・会津北道・原方道・水戸道の分岐点でもあり宿場内には数多くの旅籠が軒を連ねました。喜連川宿(栃木県さくら市)は喜連川藩の藩庁である陣屋が設けられた陣屋町で、藩主である喜連川家は形式上は古河公方足利家の後裔だった為、石高は5千石前後だったにも関わらず諸侯扱いとなり喜連川藩を立藩する事が出来、江戸時代後期には実石高は変わらないものの、10万石の国主と同等の格式を得ています。大田原宿(栃木県大田原市)は大田原藩の藩庁である大田原城の城下町として発展しました。その為、旧町内では城下町特有の見通しの悪い狭い道や鍵型に曲がった道などが随所に残り当時の名残が残っています。芦野宿(栃木県那須町)を過ぎ山中に入ると白河藩との藩境で現在の栃木県と福島県の県境でもあります。藩境の下野国側には下野の境の明神(玉津島神社)が鎮座し、白河藩側には陸奥の境の明神が鎮座し、その中間には領界石「是北白川領」が建立され白河二所関が設けられていました。

奥州街道(福島県:貝田宿〜白河関)
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