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栃木県・奥州街道 |
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栃木県・見所 |
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白坂宿(白河市)概要: 下野国(栃木県)と陸奥国(福島県他)の国境の陸奥側に設けられた最初の宿場町で、近くには金売吉次の墓(八幡神社境内)があります。金売吉次は金山の開発により莫大な利益を得た大商人で、源義経を奥州平泉の藤原秀衡の元まで送りと届けたという伝説の人物です。全国には金売吉次の墓が点在しそれに纏わる多くの伝説が残されています。国境には下野国と陸奥国の両側に「境の明神」が勧請され境界の守護神として旅人の道中安全が祈願され、周囲には「境界石」や番所が設けられていました。さらに下がった所には弘法大師や松尾芭蕉が喉を潤したと伝わる「衣がえの清水」や「戊辰戦役大垣藩士戦死之所」などの史跡が点在して白坂宿に入ります。松尾芭蕉は奥の細道の際、奥州街道を北上し、ここから分岐して古代の関所で歌枕の地である白河の関に向っています。白坂宿は天正18年(1590)小田原の役の後に行われた奥州仕置きの際、豊臣秀吉が伊達政宗に命じて開かされたのが集落としての始まりとされ、奥州街道が正式に開削すると宿場町として整備されました。江戸時代後期に本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒、家屋71軒、人口289人と白河城下に近かった事から大きくは発展しなかったようです。本陣は代々白坂周右衛門が問屋も兼ねてその役を担い、菩提寺である観音寺も宿場内に境内を構えています。
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白坂宿
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白坂宿:町並み |
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白坂宿:名所・旧跡 |
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