由利本荘市: 山本集落

羽州街道

山本集落
山本集落
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由利本荘市山本集落概要: 五十土集落を出て矢島街道沿いに進むと左側に小菅野集落が見えます。さらに進み由利高原鉄道と国道108号線を越えると山本集落に着きます。国道が通っていた事もある為、道路が拡幅して古い建物もあまりありません。建物が密集しているので街道沿いということは想像出来ます。戊辰戦争の際は激戦地となり「山田合戦の碑」が庚申塔などと一緒に集落入り口にあり、歴史を語っています。
矢之箕神社
 矢之箕神社矢之箕神社は山本集落の最後尾にあります。案内板などはない為、由来や歴史は分かりませんでした。社殿は鳥居から奥まった所に鎮座し、境内はかなり広々としています。建物自体は新しく感じましたが、鳥居や石灯籠などはかなり風化して歴史を感じるものでした。境内には集会場と思われるような建物もあり、住民にとっても精神的拠り所なのかも知れません。
河本家の御膳水
 河本家の御膳水案内板によると「カマクラ時代後期にあたる正和4年(1315)、由利仲八郎政春は根城(奉行免)にを築いて由利の里を統治した。しかし、この根城館は水が乏しいため、政春の飲用つる水は、家臣である河本家の勘解由左衛門の井戸からくまれた。以後「河本家の御膳水」と呼ばれているものである。河本家は、正中元年(1324)根城館落城後もこの地に住み、代々管理してきた。当時の子吉川の流れは現在と異なり、西に見えて根白館との間は地続きであった。この井戸は由利史研究、中世城館研究及び子吉川の変遷研究において大変貴重なものである。」とあります。
山田合戦の跡
 山田合戦の跡案内板によると「慶応4(戊辰)年、秋田佐竹の藩論がはっきり倒幕勤王と決まると、庄内藩はいち早く酒井兵部の軍勢を藩境の三崎口に進め、内密に水野勝弥の軍勢に鳥海山を越えさせ、百宅口から矢島攻略の策をめぐらした。それに気付かぬ本荘、亀田、秋田の連合軍は仁賀保塩越に陣を張って対峙した。7月25日突如として庄内軍が百宅口から攻め込んで来た。虚を突かれた矢島軍は3日と持ちこたえないで落城した。この報に驚いた秋田勢は、津軽から応援に来ていた成田隊に秋田の槍隊を配して、急遽平沢から矢島口に回した。その成田隊と庄内軍が衝突し、小競り合いをした玉坂口、上条、大台、それに最も斬り合いの激しかった当時の山田村油畑での渡り合いにより連合軍が敗れた戦いを総称して「山田合戦」という。慶応4年8月5日のことで、秋田藩6名、津軽藩9名の戦死者を出した。庄内藩は不明。遺体はここに埋葬したが、隊長成田求馬の首級だけは、庄内軍の本陣となっていた矢島広祐寺まで運ばれた。その後明治政府が確立した後、これら遺体は各藩に引き取られ、秋田市八橋の全良寺に移された。明治28年官修墓地となる。」とあります。
旧西滝沢小学校
 旧西滝沢小学校旧西滝沢小学校の校舎は昭和28年に建てられた近代建築です。近年、西滝沢小学校が統合になった為使われなくなりました。正面玄関側に回ると、国道の喧騒もなくなり、かなり良い雰囲気です。旧鮎川小学校同様に木造平屋建て、外壁が下見板張りになり校舎は並行に並んでいます。現在内部には入れないようでしたが、外部だけでも見ごたえのある建物で、一瞬タイムスリップした感じを受けます。今後の有効利用に期待したいです。
由利仲八郎政春の墓
 由利仲八郎政春の墓案内板によると「13世紀末より14世紀初頭にかけて、ここ由利の地を治めていた由利仲八郎政春の墓である。政春は、正応4年(1291)祖父、維久の冤罪が晴れると同時に、由利5万8千石の旗頭として煮しめ浜館に住んだ。しかし、応長元年(1311)、仁賀保栗山館に住む鳥海弥三郎の家臣との争論を発端として、浜館は放火され焼失してしまった。その後、南福田の鳴沢台に館を築いたが防衛上適さず、4年後の正和4年(1315)にここ根城に居を移した。由利仲八郎政春の墓それから9年後、再び鳥海氏に攻められた。この館が水に乏しい事を知った鳥海氏は、小出〜南由利原〜東由利原の山路を通り、根城の西方に陣をしき、西風にのせて火矢を射掛けた。由利氏は大いに防火に努めたが、急襲されてたこともありついに落城した。病床の身であった政春は、家老の村上帯刀に由利家の守護刀を預け、ニ子(丁刃丸と吉雄丸)の育成と由利家再興を託し、自害して戦場の露と消えた。正中元年(1324)3月24日、政春65歳の時であった。・・・・(後略)」とあります。
抱き合いの松
 抱き合いの松抱き合いの松は正中元年(1324)に根城が落城し、城主だった由利仲八郎政春が自害した為、村人達が供養として植えたのが始まりとされています。何故かは分かりませんが、松単独では根付きが悪く、よく育ったなかった為、隣に杉を植えたところ双方が育つようになったそうです。その言い伝えから、いつしか「抱き合いの松」と皆が言うようになりました。現在は松の方が枯れてしまい、杉だけが残り樹高が26m、胴廻りが6.0mにまで成長しています。推定年齢は600年とされ、新たに植えられた松と一緒に歴史を語り続けています。
白鳥神社
 白鳥神社 白鳥神社の創建はよく分かりませんでしたが、由利氏の居城である根城の一角に鎮座しています。祭神は日本武命、天照大御神、典受大神の3神で4月15日に例祭が行われます。そこでは、秋田県内では少ないとされる「伊勢系の大神楽」の「三人立ち一頭獅子」の神楽舞が奉納されます。この神楽も由利氏に関係が深いそうです。境内には不動滝が流れて、古来は修験僧の水垢離の場として神聖な場所で、参道もかなり雰囲気があります。社殿は比較的新しい(明治位?)ものでしたがその彫刻はかなり凝っています。
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