薬師堂集落 |
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本荘
薬師堂
宮内
黒沢
前郷
大水口
山本
吉沢
小板戸
矢島
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由利本荘市薬師堂集落概要: 矢島街道は本荘城大手門の前の道路から医薬神社の前を通るコースと本荘街道から東梵天の追分を経るコースがあり、薬師堂集落で合流します。家屋の密集度は比較的高く、建替えは進んでいるものの大きな移動が少ない為、当時からの敷地割りが残り、町並み全体が落ち着いた雰囲気があります。由利本荘市に近接している為、町屋などは無く商業的な発展は無いようですが、農家建築が連続して町並みが形成されています。
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医薬神社 |
医薬神社は薬師堂集落の後方の山の中腹に鎮座しています。創建は養老2年(718)と云われています。江戸時代には本荘藩藩主六郷政晴公の奥方が病気のとき祈願所となるなど周辺地域からの信仰の厚い神社と言えます。祭神は分かりませんが神社の名前から少彦名神と思われます。少彦名神は医薬や酒の神様として知られています。集落の名称からも少彦名神と薬師如来との神仏混交だったのではないかと想像出来ます。
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地蔵堂 |
矢島街道は本荘城大手門の前の道路から医薬神社の前を通るコースと本荘街道から東梵天の追分を経るコースがあり、薬師堂集落で合流します。その結束点には小さな地蔵堂があり、数体のお地蔵様が安置しています。亀田藩ではよく見かける光景ですが本荘や矢島藩ではお地蔵様が亀田藩ほど道祖神信仰と結びつきが低いと思われる節があるので、珍しい印象を受けました(※本荘城下に出入りする街道筋には6体の地蔵尊像がありますがどちらかというと政策的な存在だと思います)。 |
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一里塚(?) |
地蔵堂で2つの矢島街道が合流して、数百m進むと一里塚と思われる場面が現れます。まったく確証はありませんが、特に集落境や道路の結束点でもないところに、石塔とお地蔵様が祭っています。中央にある石塔には文政年間に建てられたもので、「猿田彦大神」と読むことが出来ます。猿田彦大神は導きの神として道祖神や庚申信仰と混交している場合が多い神様です。あまり移動した形跡もないことから街道沿いの何らかな(もしかしたら距離的なもの)境といことが考えられます。 |
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