三梨町 |
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十文字
増田
戸波
三梨
川連
稲庭
小安峡温泉
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湯沢市三梨町概要: 三梨町は小安街道沿いにあった集落です。案内板によると「三梨の地名の由来となっている梨の木が西方の田園の中に立ています。一房に三つずつの梨の実がなる事から「三梨」と言われるようになったといわれています。」とあります。又、地名に宿と付くところもあり宿場町的な役割があったのかもしれません。旧街道沿いには桂薗寺など数棟の古い建物が残り雰囲気が残り、高台には三梨神社が鎮座し集落を見守っています。又、飯田集落には石碑を藁で化粧させ集落境におく鹿島信仰を現在に伝えており、民俗学(民俗信仰)的に大変興味深い地域になっています。
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桂薗寺 |
桂薗寺の創建は延慶2年(1309)常陸の出の麻生氏が堂宇を建立したことが最初されています。その後火災や移転など繰り返し、現在の地には元文年間に火災の為移されました。鐘楼門は4脚門で屋根の形式は入母屋でかなりシンプルなデザインで構成されています。落ち着きある参道の中でひと際目に付く建物ですが、現在は鐘付き堂としての機能は果たしていないようです。
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三梨神社 |
三梨神社は集落を見渡せるよう山沿いの高台に鎮座しています。境内には小さな祠などもあり数軒の神社を合祀しているようです。奥にも社殿が見え信仰の深さが窺えます。又、神社の手前は広く整地してあり公園化しており集落の人達のイベントなどで使われている感じがしました。社殿の方は屋根の朱色と軒先の緑が映え気品高く見えます。本殿もしっかりと造り込まれているようです。拝殿壁には例祭時に奉納された札が多数貼り付けられており集落の心の拠り所となっていたのでしょう。
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庚申塔 |
案内板によると「庚申塔は、昔の人たちの「庚申信仰」を今に語る記念の石碑で、この碑は江戸時代の、文化4年(西暦1807年)に建てられたものです。60日に一度めぐって庚申の夜、腹の中にいる上戸、中戸、下戸という三匹の虫がその人が眠っている間に天に昇っていって、その人の罪や汚れを天帝につたえ、その人に災いをもたらすと信じられてきました。そのため、その夜は、村の老若男女が一堂に集まり、身を清め、行いをつつしみ、一晩中眠らないようにお互いに戒めあって、庚申さまをおもつりしました。・・・・・(後略)」とあります。 |
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