三種町(大間越街道): 外岡集落

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外岡集落
外岡集落
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外岡集落・歴史・観光・見所
三種町外岡集落概要: 外岡集落は大間越街道から西側に少し入ったところにあります。周辺集落から見ると親郷にあたり、鎮守社の熊野神社には大きな欅並木の参道があり周辺集落からの信仰が厚かった事を示しています。宿場などが無かった為か特に店舗などの町屋建築は有りません。農業を中心とした集落が形成されて、中心部にはかなり敷地が広い屋敷が数軒あります。道標や五輪塔など歴史を感じるものも多く見ごたえがある集落です。
熊野神社
 熊野神社神社 熊野神社は「秋田の神々と神社」によると「祭神は熊野加武呂(かむろ)命で、1672(寛文12年)建立する。文化12年修理する。」とあります。又、「歴史の道路調査報告書」では正保3年(1646)に本尊が盗難にあったという伝承が伝わっているそうです。参道の欅の大木(旧山本町文化財:推定樹齢300年、樹高30m、幹周5m)を見てわかるようにかなりの歴史を積んでいるのが分かります。秋田県内では杉並木の参道は良く見かけるのですが欅並木の参道はそう見られるものでは有りません。
五輪塔
 五輪塔 五輪塔は外岡集落のはずれにあります。文政10年(1827)に建立したそうですが、形状自体はあまり風化してなく、かなりしっかりとしたものです。文字もある程度読む事が出来、上から「空、風、火、水」とあります。建立の理由は分かりませんが7人の女性の名前が刻み込まれていることからも大きな不幸があったのかも知れません。五輪塔は現在でも、花を生ける場所やお供え物が置ける所があることからも集落の人達が大切に管理しているようです。
道標
 道標 大間越街道から外岡集落の入り口に1基の道標が建っています。文字がかすれてほとんど解読は難しいのですが、「歴史の道路調査報告書」によると「右のしろ」、「左久保田」と書かれているいるらしいです。能代までは道標はここしかなく貴重な存在です。又、近くには庚申塔が2基安置されています。偶然なのか大間越街道の庚申塔はバラバラに配置されているのを良く見かけます。他の地域では庚申塔がある場所には重なるように配置されているので民間信仰の解釈の地域差なのかも知れません。
1里塚
 1里塚 外岡集落を過ぎしばらく進むと黒瀬集落に着きます。黒瀬集落の大間越街道沿いには「黒瀬1里塚」と呼ばれる1里塚があります。案内板によると「江戸時代、主要道路には1里毎に塚を築き、旅人の目印にした。これは江戸から157里(628Km)のもので、築かれた塚の1部である。」とあります。黒瀬1里塚は金光寺追分から2つ目の1里塚で、高さ約1.5m程の塚が築かれています。大間越街道では道路の拡幅などがあり塚として残っているのがほとんど無く、当時の街道の遺構としては大変貴重なものとなっています。
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