水沢集落 |
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檜山
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能代市
水沢
石川
手這坂
八森
岩館
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八峰町水沢集落概要: 水沢集落は大間越街道沿いにある集落で、街道が開設されると人口が増え始めたそうです。現在でも水沢公民館には文化4年に建てられた庚申塔が残っていて、「右能代道」と掘り込まれており道標とされていた事が分かります。能代市から見て右折すると江戸時代の紀行家「菅江真澄」も訪れ、桃源郷と称した「手這坂集落」があり、無人となった4棟の茅葺屋根の民家が当時を感じさせてくれます。
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沢目神社 |
沢目神社の創建は大正13年(1924)と比較的に新しいですが、周辺集落の歴史ある鎮守を合祀して水沢集落の総鎮守となっています。中でも日上神社と稲荷神社は明治6年(1873)に村社に列しそれぞれの神社に無格社が合祀され、大正13年にその日上神社と稲荷神社が合併し沢目神社となっています。集落からは僅かに離れた高台に鎮座し、大きな鳥居や狛犬などが境内に有り信仰の深さを感じますが昭和年代に寄進されたもののようです。社殿は素朴な造りに見えますが、彩色を施した跡が見られ、建てられた当時はかなり、きらびやかだったのではないかと思われます。又、沢目神社の境内には「大エノキ(旧峰浜村天然記念物)」があり推定年齢450年を数えると言います。その事からも神社の創建も以外と古いのかも知れません。例祭は5月初旬に行われ子供神輿が町内を練り歩くそうです。祭神:天之御中主神、高皇産霊神、天照大神、速素盞雄命、大山祇神、中津綿見大神、水波能売神、火産霊神、受持神、倉稲魂命、御歳神、大歳神、若歳神、加句知々神、誉田別命、菅原道眞。
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盛沢寺 |
盛沢寺の創建年代は良く分かりませんでしたが、元々は現在より北にある岩子の沢にあったそうです。近世に入り寛永年間(1624〜1644)に天海遜鯨和尚(松源寺5世)が曹洞宗に改宗開山しましたが何度も火災にあり、明治37年(1904)の火災で1部を除いて堂宇、寺宝とも焼失しました。長らく仮本堂でしたが、平成に入り新たに本堂を再建しました。歴代の住職は教育に熱心で江戸時代には寺小屋として寺を開放したりしていました。明治になると境内に学校を建設し、案内板によると「水沢小学校は明治7年(1874)に「必明学校」としてこの地に発祥した。大正13年(1923)、現在地に旧校舎を移転新築し昭和39年(1964)、旧校舎を完工し、平成4年(1992)3月現校舎を改築した。」とあります。
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庚申塔・道標 |
水沢公民館の敷地内には庚申塔をはじめ、念仏塔や太平山碑、仏像などの石碑があります。中でも庚申塔には「右能代道」と掘り込まれており道標としていたと思われます。又、この場所は元々稲荷神社が建立されていて、案内板によると「江戸時代の紀行家、菅江真澄の「遊覧紀」文化4(1807)年3月に「昔、高間館に稲形の祠があった。館の主は金狐の稲荷と唱えて祀っていたが、100年以上も前清職坊の法憧院にこの神の祠を守らせ、田畑を与えて死んだ。そして金狐の稲荷社を水沢に移した。」とあり、この社はずいぶん古いと思われる。」とあります。
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