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 八峰町: 石川集落

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石川集落
石川集落
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八峰町石川集落概要:  石川集落は字の如く、石の多い川裾(竹生川)にある集落で歴史も比較的古く、伝統芸能である「石川駒踊り」は初代秋田藩主佐竹義宣が秋田へ下向の祭(1602年)、家臣が藩主を労う為、踊ったのが始まりとされ400年以上の歴史を数えます。昭和38年には大火の為、集落の殆どが焼失し古い町並みはありませんが、その後復興し、平成11年に農林水産祭のむらづくり部門で天皇杯の栄誉を得ました。「石川そば」を始め、多く名産を産み独自のむらづくりを目指しています。
曽布沢神社
 曾布沢神社曽布沢神社には案内板などなかった為、歴史や由来はわかりませんでしたが石川集落の鎮守だと思われます。境内には様々な石碑が並び多くの神社が合祀されているようです。境内裏には太平山山神社があり太平山碑と保呂羽山碑が並んでいます。又、大正5年には集落後方にある高峰山山頂に鎮座する薬師神社とも合祀しています。社殿は昭和38年の火災に巻き込まれた為なのか比較的新しい感じがします。境内は広々としてアスファルトで舗装されているので場所性はあまり感じません。
正伝寺
 正伝寺正伝寺の境内には推定樹齢250年の松があり案内板によると「正伝寺は、安土桃山時代(1590年頃)創建され、現在の建物は、文化5年(1808)に再建された。この松は、枝振りも良く人々に親しまれ、その昔、築住民は幼少の頃、この松に登っては歴代和尚に叱られたと言う。  峰浜村教育委員会」とあります。元々は大信田にあったそうですが何度か移転を繰り返したそうです。江戸時代に入ると秋田藩の宗教政策の一環で曹洞宗に改宗開山しています。境内には稲荷堂があり、当時の住職が夜道で明かりがなく困っていた時、狐が現れて道案内して貰った故事から建立され、長く正伝寺の守護として祀られているそうです。
大石様とカツラ
 大石様とカツラ村道から竹林の中に少し入り込むと大きな石が祭られていて大石神社と称され、屋根が掛けられています。案内板によると「昔から大石を神石、カツラやケヤキ等の大木を神木として仕事の安全を願う守り神として祀られてきたという。  峰浜村教育委員会」とあり、社脇のカツラの木は推定樹齢250年だそうです。秋田県北部は古来より蝦夷の影響が強く、この地域一帯が自然崇拝や巨石信仰などの名残を見せているとも考えられます。曾布沢神社の境内には太平山神社と称し、巨石な太平山碑と保呂羽山碑が並んで祀られている事も同様な信仰の繋がりではないでしょうか?
鍾馗様
 鍾馗様石川集落からは少し離れた塙川小学校の前に鎮座しています。周辺集落では鍾馗様は見られず小学校の正面にある為、当時の村境などの交通の要所なのかも判断できませんでした。その為、伝統的なものかは分かりませんが、現在では郷土学習の一環として子供達が製作を手伝っているようです。顔は同じ能代市にある鶴形のものに近く自然木を利用したもので、高さは2m以上ありますが胴体部が簾状の為、重厚なイメージはありません。細く長い腕が大きな特徴で、秋田県内ではこの様な形態は少ないとユニークな存在と言えます。村境に立ち、悪霊や疫病を追い払うというよりは、子供達の交通安全を見守るといった意味合いが強くなっているようです。
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