天王集落 |
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追分
上出戸
下出戸
江川
天王
船越
男鹿市
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潟上市天王集落概要: 天王は男鹿街道沿いにあった集落で古い建物は少ないですが、道路に建物が張り付き当時街道沿いだった事が思い起こせます。又、集落には地名の元になった東湖八坂神社(何度か名称が変わったようでその1つが牛頭天王社)があり集落の歴史の古さを伝える貴重な文化遺産があります。東湖八坂神社には神事として「東湖八坂神社祭統人行事」が伝わり国重要無形民俗文化財に指定されています。
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東湖八坂神社 |
東湖八坂神社概要: 東湖八坂神社の創建は役1200年前、坂上田村麻呂が建てたとされています。その後、洪水などにより4度遷座し現地には康平3年(1060)と云われています。祭神は「スサノヲ」です。「統人行事」(国重要無形民俗文化財)と言う奇祭も伝わっています。これは、全くの憶測ですが東湖八坂神社の前身は遥か遠くの古代祭神のような気がします。元々秋田には、八郎潟、十和田湖、田沢湖にまつわる竜神伝説があり八郎潟周辺には特に竜神に関する神社が多いです。前述した玉の池の伝説も蛇に関するものです。八郎潟に隣接する男鹿半島の山々の火山活動が八郎潟に住む竜の仕業に見えたり、あるいは溶岩流が赤い竜に見えたことは容易に想像出来ます。元々の位置は良く解らないのですが、八郎潟と日本海を繋ぐ接点に近接していた事は予想できます。二ツ井町にある七座神社も同じ様な事が言えるのですが、侵略者(ここでは、坂上田村麻呂や安部比羅夫を指します。)が地元の神と支配者側の神を混在させていまうのは古代ではよくあることだったそうです。 江戸時代に入ると佐竹氏の崇敬社となり秋田領十二社の1つに数えられ城下内町、外町、河辺、秋田、仙北、山本の各郡の初穂勧請地に指定されていたそうです。
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愛宕神社 |
愛宕神社は東湖八坂神社を旧男鹿街道沿いに進み県道104号線に突き当たる手前に鎮座しています。小さい神社の為か案内板も無い為、歴史や由緒は分かりませんでした。雰囲気的には東湖八坂神社に合祀されていても良い気がしますが独立を保っているのは何か意味があるのかも知れません。愛宕神社は通常、火産霊命を祀る火に関係の深い神社です。対して東湖八坂神社は水に関係が深い・・・。といっても全国的にみても合祀している例もある為あまり理由にはなりませんが。
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三十三番観音碑 |
三十三番観音碑は男鹿街道が開設後文化2年(1805)太田玄碩が建立しました。追分三叉路を基点として集落の出入り口や三叉路などの道路の結束点に配置されているように思えます。庚申塔などと一緒に安置されている場面も多く見受けられ信仰の対象になっていた事が分かります。現在は風化が進んではっきりと文字などは読めませんが小さな祠の中に納まっ案内の柱が立っています。
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男鹿半島 |
男鹿半島概要: 男鹿半島は秋田県を代表とする観光地として有名で年間を通して多くの観光客が訪れています。男鹿半島は元々火山島だったとされ、半島のいたるところでその形跡を見る事が出来、その独特な景観は時には信仰の対象や伝説の原点にもなっています。中世には修験僧の修業場として山岳信仰の盛んな場所となり、現在でも男鹿半島には「赤神神社五社堂」や「真山神社」、「万体仏」などの遺構数多く残っています。
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