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石巻街道概要: 石巻街道は仙台城の城下町と石巻港を繋ぐ街道です。参勤交代で利用されることは無く、基本的は人々の往来や物資の輸送に使われました。又、仙台藩は大藩だった為、家臣達は半独立的な領地を与えられ、自領と仙台城の往復に石巻街道は利用されました。このサイトでは宮城県内の石巻街道沿いの集落の町並みや歴史的建築物などの由来等写真を交えて掲載しています。仙台は仙台藩主伊達家62万石の居城仙台城の城下町として発展した町で、東北地方最大の都市となりました。人口は約5万人前後で全国的に見ても第9位前後に位置し一大消費地でした。文化的にも発展し、仙台城をはじめ、仙台東照宮(国指定重要文化財)や、大崎八幡宮(国宝)、瑞鳳殿(伊達家霊廟、旧国宝、仙台市指定史跡)、愛宕神社(仙台市指定文化財)、陸奥国分寺(国指定重要文化財、国指定史跡)などが造営されました。松島は古くから風光明媚の景勝地として知られ、源融、藤原実方、西行法師、松尾芭蕉などが訪れ和歌や俳句など作品の題材となっています。又、伊達家の菩提寺である瑞巌寺(国宝:本堂・庫裏)や五大堂(国指定重要文化財)、伊達光宗(伊達政宗の孫)の菩提寺である圓通院(国指定重要文化財)、愛姫(陽徳院:伊達政宗の正室)の香華院である陽徳院(宮城県指定文化財)、観瀾亭(宮城県指定文化財)など歴史的文化財が点在し一大観光地となっています。石巻は仙台藩最大の港町として発展した町で当時は北上川の河口近くに仙台藩、一関藩(仙台藩支藩)、盛岡藩、八戸藩の藩蔵が並び年貢米の積出港となりました。北上川舟運の発展と共に、川沿いには数多くの川湊が設置され、川を使い多くの物資が行き交い、文化の玄関口にもなり、必然的に河口に位置した石巻には多くの物資が集められ、商業都市として括弧たる地位を築き上げました。石巻街道は仙台藩の最大の都市である仙台と、最大の港町だった石巻を結ぶ街道として重要視され、数多くの人と物資が行き交いました。
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奥州街道(宮城県:有壁宿〜白石城下)
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利府(利府町): 利府は伊沢氏(留守氏)の城下町として発展した町です。多賀城に近い事から古代から中世にかけては軍事的にも重要視され、特に仙台市との境近くにある留守氏の居城、岩切城(国指定史跡)はその中心として室町時代初期には東北地方最大の商業地域となりました。戦国時代に入ると留守氏は居城を利府城に移しますが、小田原征伐に参陣しなかった為、豊臣政権からは大名とは認められず、利府城も廃城となりました。江戸時代に入ると仙台藩の直轄地となり、石巻街道の利府宿が設置されました。
観光・旅行・見所 : 利府城 など
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塩釜神社 |
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一関街道(一関城下〜石巻湊)
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