内小友集落 |
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湯沢市
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大仙市内小友集落概要: 内小友集落は在郷町として発展してきた集落です。源義家が建立したとの伝承を持つ八幡神社があり、中世では三浦氏が館を構えるなど、当時からこの地域の中心的役割をもっていたと思われます。戊辰戦争では戦場となり満友寺など多数の家屋が戦禍を受けましたが、現在でも全体的にも落ち着いた町並みで、とても懐かしい雰囲気をもっています。集落境には地蔵堂や庚申塔などもあり信仰に厚い集落と言えると思います。
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八幡神社 |
案内板によると「当神社は遠く奈良時代末期鎮座の伝承はあるが、平安中期安倍合戦の援軍の功により源義家将軍の命により康平6年15間4面の地に社殿を建立す。其の後盛衰不明なるも近年に至り、明和2年酉3月に再建。寛政元年福応山万億寺八幡宮一宇(軒札あり)とあり。明治新政により内小友郷の創鎮守として村社に指定される。明治30年神殿、社殿建築、その後伊勢堂、神明社合祀増築。このように千年前後の昔より一郷の崇敬のものと今日に至る。・・・・(後略)」とあります。
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満友寺 |
満友寺は大曲郊外にある内小友集落にあります。旧三浦氏館跡に大永2年(1522)に創建されました。戊辰戦争により、山門以外は全焼し明治36年(1903)に再建しました。内小友集落は小友川の舟運で発展したらしく、複雑な町割りをしていて満友寺も意外とわかり難い場所にあります。山門の奥には建物に対して違和感があるくらい大きな切り妻屋根の鐘楼門があり歴史の時を刻んでいます。
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三浦館 |
三浦館は案内板によると「三浦治部少輔政重居住、東西30間、南北50間。文化12年(1813)の秋田風土記に今石高190石とある。館前の名の起こりは、三浦の館に由来があるといわれている。」とあります。周囲に遺構らしきものは見当たらず、小友川が堀の役目をしていた平城だったようです。要害堅固な城というよりは石高からいっても大きな屋敷程度だったのかも知れません。
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地蔵堂 |
小友川に架かる伊勢堂橋の袂に鎮座しています。同時に集落内の辻に当たる為、場所的にも意味深い所にあります。お堂自体は1間にも満たない割りと小さなものですが、内部には多くのお地蔵様が奉納され、現在でも信仰の対象となっているようで、一体一体のお地蔵様には新しい前掛けがかけて、花や千羽鶴などあり綺麗に管理されています。橋の名前が伊勢堂なので付近に宗教的施設があったのかもしれません。
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庚申塔 |
庚申塔は地蔵堂とは反対側の集落境に安置されています。当時の道と思われる前に若干盛り土していて塚状にして樅の大木が立っています。この木も信仰の対象になっているのか御札が貼られています。庚申塔の前にはそれぞれお供え物を置く場所が確保されているのが特徴の1つで他ではあまり見られません。それだけ信仰に厚い集落だと言えると思います。
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恙虫病研究所 |
恙虫病研究所は特に案内板などは無い為詳細は不明ですが、秋田県の風土病とも言われる恙虫病の研究施設と思われます。内部公開などはしていないようで閉められていますが、研究器具などが置かれているので資料として保存しているのかもしれません。玄関脇には石碑があり昭和2年に恙虫病の病原体発見と掘り込まれているところを見ると、この建物は昭和以前のものと考えられます。雰囲気的には大正時代に建てられた近代建築に感じを受けますが、秋田県内には当時の研究施設で現存しているものは少なく貴重な建物です。大仙市の指定文化財になっています。
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