横手市: 雄物川町深井集落

羽州街道

雄物川町深井集落
横手市:雄物川町深井集落
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横手市深井集落概要: 深井集落は沼館浅舞から大沢を抜けて本荘街道へ通じる道沿いにあります。雄物川の舟運も盛んで舟着場もありました。かなりの賑わいがあったらしく深井八幡神社には当時を知る舟絵馬が奉納されています。付近には数多くの古墳があり陶磁器などが発見されている事からも古くから人が住んでいたことが窺え、近世には深井焼などの文化的にも発達した集落でした。又、鹿島送りなどの虫送り行事なども受け継がれていて民俗学的に見ても興味深い所です。
深井八幡神社
 深井八幡神社深井八幡神社は深井集落境、旧船場の近くに鎮座して、創建は天正年間と云われています。現在の建物の年代はよく分かりませんでしたが、かなり古いような印象を受けました。拝殿に施された彫刻はかなり細かく凝った造りになっていて龍を中心に水を感じさせる彫り物が施されています。本堂は桧皮葺きで鞘堂に納まっています。境内には多くの祠や庚申塔などの石碑があり集落の信仰を集めていた場所だということが分かります。又、神社内に奉納された舟絵馬は当時の雄物川舟運の様子がわかる資料として大変貴重なもので、旧雄物川町(横手市)の指定文化財になっています。
深徳寺
 深徳寺深徳寺の創建は明治23年(1890)で比較的新しい寺院です。深井集落の地主である福岡家が堂宇を建立した為、かなり豪華な造りだったそうです。当時の建物は10年後大火に焼失し、その後建てられたものの昭和63年に建替えられました。正面の石造の仁王像が印象的で2体とも白い前掛をしていて、本堂に入ってくる人達の邪鬼を払ってくれているようです。
深井焼釜跡
 深井焼釜跡案内板によると「深井焼は、津軽焼き窯元石岡氏の出である山形弥惣兵衛(1798〜1860)の長男勇太郎によって始められた。父弥惣兵衛は、雄勝郡新町(羽後町)の某氏に依頼を受けて新町焼を出し、のち本荘藩六郷氏の処遇を得て本荘で陶業を営んだが、事業がのびず、晩年は深井に永住した。父の死後重太郎(1840〜1909)は、陶業の再興を思い立ち、父の残した作品を改良、工夫を加えて形、色彩共にすぐれた深井焼を完成させ、その陶祖となった。しかし時代の波に押されて明治27年(1894)頃から経営不振に陥り、大正中期には陶業を廃止して土管清蔵に変わった。郷土資料館に、深井焼5点(徳利、中皿、花瓶、蓋物など、雄物川町指定有形文化財)を展示している。
地蔵堂
 地蔵堂地蔵堂は深井集落の境に安置されています。隣接する大木の根が盛り上がりお堂が少し傾いているようですが、お供え物などもあり信仰は続いているようです。お堂の中には数体のお地蔵様が安置されています。外には庚申塔もあり一種の宗教施設のような感じがします。後ろには集落の集会場もあり、色々な意味で重要な場所だということが分かります。
 
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