七ヶ宿街道: 湯原宿

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概要・歴史・観光・見所
湯原宿(七ヶ宿町)概要: 湯原宿は仙台藩領で、此処から7宿分、仙台藩の宿場が続く事から七ヶ宿街道の名称の由来となっています。湯原宿は上山藩領の境に隣接していた事から重要視され、御境横目という藩役人(石高100石以上)を配して湯原御番所を設置し、人物改めや荷物改めが行われました。戦の際には最前線の拠点になる事から番所には堀と木柵が設けられ、袖からみや、首かね、手くつ、鉄砲なども備え付けられていました。又、二井宿街道(湯原宿〜米沢城下)との分岐点という交通の要衝でもあり七ヶ宿街道の中では中央に位置した関宿に次ぐ規模を誇り、本陣、脇本陣など40軒の宿があり本陣には100名宿泊する事が出来、二井宿街道との追分には道中安全を祈願する庚申塔を兼ねた追分道標が設置され「右ハもがみ海道 左ハ米沢海道」と刻み込まれています。湯原宿には物資輸送の拠点として峠田宿と合わせて馬一七疋と牛五〇疋がいて年貢米などを信達地方に運んでいました。宿場の西端にある東光寺は応永年間(1394〜1427年)、九皐宥鶴大和尚によって開かれた曹洞宗の寺院で、当初は米沢に境内を構え、伊達政宗 (伊達家9代当主、大膳大夫)が応永12年(1405)に死去すると菩提が葬られ戒名「東光寺儀山円孝」も当寺の寺号に因んでいます。その後、現在地に移された際、政宗夫妻の位牌も同じく移されましたが、昭和28年(1953)に本堂が火災により焼失し位牌も焼けてしまいました。山門だけは当時のままで七ヶ宿町指定文化財に指定されています。
湯原宿
湯原宿(七ヶ宿町)
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