由利本荘市: 長坂集落

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長坂集落
長坂集落
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由利本荘市長坂集落概要: 長坂は川大内街道沿いにある集落で、街道沿いの集落の中では比較的に大きな集落といえます。集落は大きく上長坂と下長坂に分かれており、集落の際には松本と同様に神社(長坂稲荷神社は旧大内町有形文化財)が祭られ、街道沿いにはお地蔵様が現在でも花や蝋燭など供えられています。又、長坂集落の山沿いには加田喜沼湿原と呼ばれる湿原があり高層植物が生育し貴重な存在となっています。
町並み
 長坂集落長坂集落は大きく上長坂と下長坂に分かれています。街道沿いに長く集落が伸びていて、古い建物も点在し街道の雰囲気が感じられる集落です。長坂集落の歴史的背景はよく解りませんでしたが、長坂から県道9号秋田雄和本荘線に行けるルートが何本か延びている事からも交通の要所だったと想像できます。その為か周辺では比較的大きな集落を形成しています。長坂集落町並みには昭和初期頃に建て替えられたと思われる建物が多く和風をベースにしながら洋風の要素を取り入れている独特のスタイルの建物が軒を並べています。下見板張りの外壁が多くワンポイントで緑が掛かった所、特に玄関廻りなど使い窓廻りも純和風ではない昭和や大正のノスタルジックな感じを受けます。時代の変革の中でこの様なスタイルが流行し今尚存在しているのはとても珍しく貴重な集落といえます。
祈り
 お地蔵様 長坂集落の際には地蔵が祭られています。特に川大内街道沿いの集落に共通する要素としてここでも取り上げてみます。あくまでも推測ですが岩城亀田藩にいた是山和尚の布教にかなり影響があるように思えます。是山和尚は赤田の大仏を建立しただけでなく、折渡地蔵、由利長根地蔵、一本杉地蔵などを各街道沿いに安置するなど精力的に活動しています。赤田33観音も彼の功績と伝えられています。この事からも岩城、大内地区では地蔵信仰が盛んなのではないかと思われます。他地域では人形道祖神(鹿島様)や庚申塔などが集落境にあるのに対しここではお地蔵様がその役目を果たしていると言えそうです。現在でもお地蔵様にはお供え物が添えられていて信仰が続いています。
長坂稲荷神社
 長坂稲荷神社切通稲荷神社は慶長5年(1600)京都伏見稲荷の分神を伊藤氏が加賀より移住の際伝えたのが始まりとされています。五穀豊穣、商売繁盛の神様としても周辺住民から広く信仰されています。現在の社殿は明治17年(1887)に再建されたもので、幕末から明治に掛けての由利本荘周辺の建築に見られる華麗な造りになっています。特に向拝の彫刻が凝っており、様々(龍、鳳凰、獅子、象、鯉、兎、力士、亀など)な縁起物が掘り込まれています。長坂稲荷神社由利本荘市(旧大内町)指定文化財に指定されています。又、天明年間から始まったと云われる梵天祭は旧暦2月の初午(現在は、3月第2日曜日に開催)に、五穀豊穣・商売繁盛・交通安全などを祈願し、梵天奉納が行われます。梵天祭はは先陣をみんなで争う為、「喧嘩稲荷」とも言われ奉納の際の押し合いは壮観だそうです。由利本荘市(旧大内町)指定無形民俗文化財に指定されています。
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