手倉集落 |
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十文字
増田
真人
田子内
岩井川
手倉
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東成瀬村手倉集落概要: 手倉は手倉街道沿いにある集落です。手倉街道は横手と水沢(岩手県奥州市水沢区)を結ぶ重要な街道とされ、番所が設けられ、横手から2人の番人が2ヶ月交代でその任にあっていました。門の開閉や旅人の出切手、有無などを調べていたそうです。当時は90戸以上の家屋があり、宿場町として機能していましたが 現在は70戸程度に減り、番所や札場などは昭和7年県道改修の際、その姿が失われました。
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手倉神社 |
手倉神社は集落から少し離れた山の中腹で見晴らしの良い場所に鎮座しています。案内板などもなく由来や歴史は良く解りませんでした。同じ東成瀬村の田子内周辺の神社と比べると建築彫刻なども少なくかなりシンプルなつくりになっています。多少変形していますが切り妻平入りの建物で形状から神明系の神社かも知れません。狛犬や建物全体的に新しい印象を受けました。
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手倉御境口御番所跡 |
手倉集落の手前の左側に手倉御境口御番所跡の石碑が建っています。御番所は関所と同じような役割を果たし仙台領と接しいた為、人物や物資の改めが行われていたと思われます。江戸時代に入ると早々に設置され、横手から60日交代で2人の給人がその任にあたっていました。図面を見ると役所部分の他に客間や床の間、槍立場があり、外部に御札場、御留場、御門などが書かれています。明治2年には番所が廃止され、道路の拡幅工事などでその遺構は現在はありません。
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道標 |
手倉街道には多くの道標が残されています。この手倉集落にも写真のような道標があります。道路の拡幅工事などで当時の位置かどうか解りませんが、保存状態も比較的良く文字も確認出来ます。道標には「向、右 おくむら道、左 やまみち」と掘りこまれています。この様に三叉路や追分などには道標が置かれる場合が多く旅人達の道中の目安として大変貴重なものでした。手倉越えの峠道にはこの他にも数個の道標が残り、首もげ地蔵や弘法の足跡石、祠などがあり当時の雰囲気を残しています。 |
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