七ヶ宿街道: 滑津宿

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概要・歴史・観光・見所
滑津宿(七ヶ宿町)概要: 滑津宿は七ヶ宿街道の宿場町の中では比較的大きかった宿場で本陣職に値する肝煎り検断が置かれていました。江戸時代に入ると羽州街道が整備され、滑津宿は慶長8年(1603)頃を前後にして成立したと推定されています。肝煎り検断は桜井家が代々その任を担い、江戸時代後期の天保年間(1830〜1844)以降は安藤家が勤めました。町並みは近代化と過疎化により大きく失われている中、本陣である安藤家住宅とその向かいにある旅籠だったと思われる吉野家だけは茅葺屋根を残しています。安藤家は寄棟、茅葺、平入の主屋(宿泊棟)に家人が生活する住居棟が直角で配されている形式で、千鳥破風が付いた玄関や座敷の意匠が本陣建築の格式を感じさせます。吉野屋の建築年などは不詳ですが、木造2階建、寄棟、妻入、茅葺、2階に開口部をとる為に屋根を大きく欠き街道側は兜造りのようになっています。その他の建物は、元茅葺に鉄板屋根を乗せたような民家が点在しています。滑津宿の西の外れには久保田藩主佐竹公が宿場の娘と恋仲となり、その死を悲しんで建立したと伝わる振袖地蔵が建立されています。又、振袖地蔵からは旧七ヶ宿街道の旧観が残され石畳風に整備されています。
滑津宿
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