真人集落 |
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十文字
増田
真人
田子内
岩井川
手倉
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横手市増田町真人集落概要: 増田を出ると成瀬川沿いに真人集落があります。真人集落は舟運の川港があった為か、土地の形状に合わせた3階建ての建物が建ち並んでる町並みを見る事が出来ます。成瀬川と生活が密着していたようで現在でも数軒の店舗があり経済活動が行われています。周辺には大きな神社が無かったので集落背後にある真人山の三吉神社が鎮守なのかもしれません。そういう意味では真人山は信仰の山と言えそうです。
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川港 |
真人は成瀬川(堰?)沿いに開けている集落で、現在も家屋と水場がほぼ接しています。その為、水場側の家屋は土地の形状に合わせて造られ3階建てのものが多く見られます。又、水場は南側にあるので、各家屋が大きな開口やベランダなどで構成されある種の統一感があります。これらのことが真人集落の景観の要素として形つけられ、デザインコードとなっています。集落の景観を考える祭これらののことを押せる事が重要で真人集落の独自性が見ることができます。
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彦六塚 |
案内板によると「天明年間(1780)の事、仙台藩から秋田領へ追放された彦六という怪賊がいた。彼は横手の城代戸村家から、伊達公の宝刀といわれた脇差を盗んで逃げた。これを知った戸村家では、彦六のしわざと知って追手を差向け、増田村で取り囲んだ。ところが彦六は、民家の屋根から屋根へ飛鳥のように飛び移り、つかまえることができなかった。そこへ百姓の石投げ名人半五郎が、狙いをさだめて石つぶてをなげつけたところ、彦六の踵に当たって、彦六は屋根から落ちて倒れ、追手の武士につかまり、首をはねられ、そこに塚を築いて、誰言うことなく彦六塚と呼ぶようになった。半五郎は石投げの功により開墾がゆるされたが、彦六塚の前を通ると、「半五郎今か」と恐ろしい声を出して、塚の上が動いたという。お堂の中には小さな木刀が奉納され、木刀は子供の夜泣きを防ぐという。」とあります。
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庚申塔 |
増田から彦六塚の前を通り真人集落の手前に庚申塔があります。庚申塔を中心に二十三夜塔など様々な石碑があり、集落の民俗信仰の中心だった所だと思います。現在でも注連縄などもあり手厚く祭っている印象を受けました。集落境にあることからも集落へ悪霊や疫病などをここで止める道切りの願いが込められていたと思います。 |
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