旧亀田街道

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旧亀田街道
旧亀田街道
刈和野 北野目 大沢郷宿 杉山田 萱ヶ沢 高尾 新沢 上蛇田 亀田 松ヶ崎
旧亀田街道概要: 旧亀田街道は久保田藩の刈和野から亀田を経て松ケ崎まで続く街道です。現在でも大沢郷付近の保存状態が非常によく、1km以上も2mほどの窪道が続き旧西仙北町(大仙市)指定史跡となっています。旧亀田街道は久保田藩と亀田藩、矢島藩と藩境を接している為、藩境争いが絶えませんでした。その為、街道部分が廻りの土地より低くし、他の藩内に間違って侵入しないようにしていました。そのような形状も今日でもはっきりと確認する事が出来ます。
道しるべ
 道しるべ道しるべは上小坂御番所跡地に隣接し、現在は保護の為か見しるべ自体にカバーを掛けています。カバーには以前道しるべに知れされていた文字が「西 本荘亀田、南 矢島、東 仙乏」、「南無阿弥陀仏」と書かれていてます。隣接する大沢郷は矢島藩の飛地で亀田藩に囲われていた事もあって上小坂御番所に道しるべを設置したと考えられます。実際復元された木戸門の延長線には清七塚 や太平山碑、祠などあり大沢郷宿へ続いています。
石仏群
 石仏群石仏群は上小坂御番所跡地に隣接しています。実際ここにあったものかはよく分かりませんでしたが、「庚申塔」、「四国三十三観音碑」、「青面金剛」、「お地蔵様*2」と思われる石仏が並んでいます。基本的に道中安全を祈願するものばかりで庚申塔は様々な意味合いもありますが、ここでは道を司る神とされる猿田彦が祀られていると思われます。青面金剛は庚申の本尊とされるもので、お地蔵様は是山和尚の影響とも思われ亀田街道や川大内街道沿いに多く見られます。四国三十三観音碑は巡礼を想像できます。
供養塔
 念仏塔供養塔も上小坂御番所跡地に隣接しています。案内板には名称しか無い為、由来や歴史等は分かりませんでした。名称の通り、亀田街道道中に不幸があった人に対しての供養だとは思います。現在では人工物だというのは分かりますが、ほとんど原型を留めていません。保存するのも大変でしょうが、このままではあまり良くない気がします。ただ隣接する道しるべのようにカバーするのはあまりとは思いますが。近くに「刀洗いの井戸」があるそうなのですがよく分かりませんでした。
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