愛宕神社(会津若松市)概要: 愛宕神社の創建は奈良時代の天応元年(781)、会津門田の庄小田の里谷池沼に棲み付いた大蛇が住民に悪さをした為、玉泉(三河国の修験者)が愛宕神社の分霊を勧請したのが始まりとされます。当初は里谷池沼の傍に鎮座していましたが至徳元年(1384)、当時の領主佐原盛純が愛宕町(現在の宮町)に遷座、天正18年(1590)に蒲生氏郷が現在地に再遷座し30間四方の山、社領30石が寄進されました。江戸時代には歴代会津藩主から崇敬庇護され、慶長13年(1608)には蒲生秀行が社殿を修復し、寛永10年(1633)には加藤明成が社殿を造営しています。幕末には土方歳三も宇都宮城(栃木県宇都宮市)攻防戦で傷を負い東山温泉に湯治に来た際、傷平癒の祈願に訪れており、隣接する天寧寺(会津若松市)の境内には近藤勇の墓が建立されています。社宝が多く「関羽の図(盤山画)」・「神馬の図(盤山画)」・「祇王祇女物語の図(永昌画)」・「巫女図狂歌十五首(窪俊画)」の絵馬(4枚)が会津若松市指定文化財に指定されています。又、戦国時代に上杉領だった時代、執政である直江兼続の屋敷が近くにあった事から愛宕神社を崇敬したとされ、普賢菩薩(愛宕神社の本地仏・別当寺院である金蔵院の本尊)の甲冑も影響を受けたと推察されています。古くから神仏習合し修験道場として発展していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され社号を愛宕神社に改めています。現在の社殿は享保15年(1730)、当時の別当である順□(6世)によって再建されたもので拝殿は入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白木板張、江戸時代の絵馬8点が掲げられています。本殿は一間社、切妻、平入、銅板葺。祭神:火産霊神 伊邪那美尊 月読命。
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